「くれよんサークルとわたし《 

     くれよん祭りに寄せて  2006年6月

 私たちのサークルは、平成11年に立ち上げもう7年を迎えました。その間、仲間同士の単なるサークルからNPO法人となり、ギャラリーのある喫茶店をオープンすることができました。一人では何もできない私ですが、出会ったたくさんの方々に支えられてここまで来れたことをとても幸せに思っています。今まで落ち込みそうになった心を幾度となくボランティアさんに励ましてもらったことでしょう。親同士の話し合いの中でどんなに勇気をもらったことでしょう。お店に来てくださる皆さんに笑顔をいただいたことでしょう。本当に感謝しています。
 しかし、障害者を取り巻く環境は厳しく、支援費制度により「サービスを選べる《と一見充実したかのように見えましたが、新たに自立支援法になり支援という吊とはほど遠い内容の法律に今、私たちは、頭を抱え抱えているところです。障害者は働いてもその賃金以上の施設利用料を支払わなければならず、一生懸命働いた労力が報われないのです。
私たちは、今まで以上に協力し合って障害者が親亡き後も住みなれたこの地で安心して生きていけるような環境作りに取り組まなければなりません。どうか、皆様このような状況にいる私たちを心にとめご支援いただければと思います。今後とも「くれよんサークル《をどうぞよろしくお願いします。 (T)

    くれよん村の開店に寄せて  2004年4月

 わが子が思いもかけず障害児(今は者)となり、親は勿論、兄弟姉妹、祖父母とまさに家族ぐるみの協力の中で子育てがはじまりました。年月は流れ祖父母の病気と死、兄弟姉妹の就職と結婚、そして親自身の高齢化と家庭の中も大きく変わって来ました。自分が若いころは子供も小さく、仕事や子育てにまいくれていましたが、持ち前の呑気さもあってか「ひょっとしたら病気も治るかも《「なんとかなるさ《みたいな気持ちで特にこれといったこともせず、過ごしてきたと思います。

 けれど、自分の病気とあるショックな出来事があり、このままではいけないと思うようになりました。その頃、作業所の青空教室にみえていた二人の小学生のお母さんと出会いました。そして、毎週火曜日が家庭作業日として休みだったことから作業所のありかた、役割など疑問に思うことなどを相談するようになりました。そして、すごいと思うのは「今は小学生だけど卒業した時に子供たちが行き場に困らないように今からしておかなくては《と考えておられていたこと。そして他町の作業所見学・指導員の方々から学びながら、余暇活動としてサークルの月例会を持つようになりました。三人だけではと心当たりを誘ってみましたが、なかなか思うように集まらず心細い思いをしていました。そんな時、ボランティアの方にお手伝いや励ましなど親身に助けていただき、仲間の中には親のない人もいて会費はできるだけ集めず、町内のバザーや紅葉祭りの出店などをしてまかないました。集まる場所も転々としながら、亀よりのろいような歩みでも消えることなく、少しずつ初めの頃の願いが形になりつつあるのが実感できるようになりました。 そして五年目の今年はサークルにとって大飛躍の年になりました。

相談ごとや打ち合わせのため、集まるたびに今度はどこにしようと場所を考えなくてもいいのです。そこに行けば仲間がいてお茶が飲めておいしいケーキも食べられる、周りを気にせずわが子も食事ができ、もしも発作が出たら和室で休ませてもらうこともできる。さらに、今まで働きたくても子供の送迎、病気等の都合で働けなかったお母さんも都合のつく時に働くこともできるのです。私たちにそんな夢のような場所ができるんです。でも、この「くれよん村《を障害者と健常者がともに集える場所として、また、福祉の発信源となるような場所にみんなの知恵と思いで作り上げていきたいと思います。

 どうぞ、「くれよん村《に力をお貸しください。