シブなしカヤ


        


  桑名藩のおきみやげで、勢桑見聞略誌に「定綱公賞し給い、寛永の頃江戸東叡山東円院御建立の時、このカヤの実を植えられる。大木となり、乾海法院の頃の多く実りし故、寺を地に移される時、又植えて元の木は碁盤に製し、寺の什物となる。今古田に渋無しカヤとて公の接ぎ木せられしと云い伝う。」 とあり、古田村の名物で、庄屋近藤氏邸内のものが本源で、桑名遊歴の節、自ら接ぎ木されたものである。(この木は切られて根っこのみ残る。)
  古田村庄屋近藤松治郎から桑名の長寿院へ差し出した文章によると、寛永14年3月松平定綱は当時同家の祖、古田最初の庄屋近藤衛門九郎の案内で馬上このカヤ12本を接ぎ木し、6本を村に植え付け、6本を城中へ持ち帰って植えられたのが枯れた。 8升づつ毎年上納し、候より栽培畑二畝十六歩を頂き、且つ居宅の修理手当までももらい、後代庄屋茂左右衛門の時、座敷長屋を普請して、福王山の伐材を賜り、御殿長屋と呼ばれたという。 現在のカヤは近藤重太郎氏跡、杉本昭夫氏宅東にある。 篠立は三輪欽一氏所有のもの3本である。