猪土囲
           



       

                    


  篠立の耕地を囲むような位置に、東西に今も残る。 深さ1m、高さ1.3m、幅3m余りの土塁が残っている。 延長4.5kmもあろうか。 何時の時代に築かれたのか不明であるが、長楽寺保存古文書より推察すると、少なくとも小字「新道」付近は安永6年(1777年)以前からあったものと思われる。 耕地を獣害から守るための先祖の大土木工事であり、苦労が忍ばれる。
  天明年間の記録に鹿垣見廻給という文字が使われている。 往時は土塁の上に木で柵を組み、通路には、木戸が設けられていた。 各々十戸組には受け持ち区域があり、獣害を受けると、区民よりその責任を問われたという。 東、水垂、前戸貝、清水はその跡が鮮明に残っており、西、新道、上貝戸、大切地内は残っているが留藪あたりが分からない。 土囲内の山林を「山内」。 土囲外で元篠立区民の入り会い山までを「古林」(こうばやし)又は地山と呼ぶ。
  入り会い山を分割したものを「新立」(新だち)と呼ぶ。 なお山地の境界は篠立は一番低いところ、古田は土塁の頂上とする。

    猪土囲探検の様子