蝶々夫人 / Madama Butterfly

この作品について

原作:デイヴィッド・ベラスコ 『蝶々夫人』
台本:L・イッリカ、G・ジャコーザ
初演:1904年2月17日 ミラノ・スカラ座

 プッチーニのエキゾチシズム(異国情緒)の結晶。ロンドンで観たベラスコの芝居『蝶々夫人』に刺激を受け、オペラ化を思い立った。日本のメロディーをふんだんに盛り込んで、外国人が夢見た美しい日本のロマンチックな物語をオペラにした。スカラ座での初演は失敗だったが、台本にも音楽にも手を加えて再演し、成功した。
 「ある晴れた日」という邦題で有名なアリア「Un bel di vedremo」は、実は「晴れた日」ではないのである。確かに「bel」には、晴れている、とか美しいという意味があるが、この場合、天候のことを言及しているのではなく、何か良いことが起こる日、という意味あいで使われているにすぎない。(英語の「One fine day:ある日」という言葉のニュアンスと同じ。)だが誤訳が定着した今では、もはや正しく直すことはできないのかもしれない。

登場人物

あらすじ

第一幕
 丘の上に立つ日本家屋。この家はアメリカ海軍の軍人・ピンカートンと、今からその妻となる蝶々さんの家だ。ピンカートンはこれから始まる生活に心ときめかせるが、領事であるシャープレスは、蝶々さんのピンカートンに対する愛は本物だ、だから軽薄な考えは止めろと戒める。しかしピンカートンは、蝶々さんの事を現地妻とくらいにしか考えていない。そうこうしているうちに、花嫁・蝶々さんが到着した。結婚式を済ませ、晴れて結ばれた二人。だが突然、坊主である叔父が現われ、ピンカートンのために密かにキリスト教に回心した蝶々さんを怒り、そのような奴は一族から永久に追放すると言い、親族を皆引き連れて去って行く。(ちなみに、演出家が外国人の、とあるDVDでこの叔父が白塗り&歌舞伎役者&アフロの格好で現われたのを見た時は、シリアスなシーンなのに1人で大笑いしました。外国人から見た日本って、こんなイメージなのね…)一人捨てられた蝶々さんは悲嘆に暮れるが、ピンカートンは家族が誰もいなくても僕だけはずっと側にいてあげる、と約束する。そして有名な「愛の二重唱」で幕。

第二幕
 仏壇の前で日本の神々に祈るスズキ。そんなスズキを見つけて「日本の神様はダメよ。アメリカの神様でなくちゃ」と戒める蝶々さん。ピンカートンがアメリカに帰ってから早や3年の月日が立っていた。彼との間に生まれた子どももいる(ピンカートンは知らないが)。蝶々さんはピンカートンの帰りを今か今かと待ちわびるが、スズキは、「異国の旦那様が帰って来たという話は聞いた事がない」と。蝶々さんはアリア:ある晴れた日:Un bel di vedremoを歌い、スズキに言い聞かせる。そこへシャープレスがピンカートンからの手紙を持ってやって来る。内容は「私はアメリカで結婚する事になった。蝶々さんがもしまだ私の事を覚えていたならそう伝えてほしい」というものだったが、ピンカートンの帰りを疑いもせず信じている蝶々さんを前に、シャープレスは本当の事を言えず、蝶々さんの一途さに心打たれて帰って行く。そうこうしているうちに、港から船が到着したと言う大砲の音が聞こえる。船を毎日観察していた蝶々さんが、やってきた船はまさにピンカートンの乗っている船だと叫ぶ。家中に花びらをまき、花嫁衣裳をまとい、蝶々さん、スズキ、蝶々さんの子どもの3人でピンカートンの帰りを夜中じゅう待つ。

第三幕
 ハミングのコーラスによる美しい間奏曲を挟み、夜が明けるが、ピンカートンは一向に帰って来ない。疲れてしまった蝶々さんが子どもを連れて奥に行っている時、妻・ケイトを連れたピンカートンが現われる。それを見て、スズキは全てを悟る。ピンカートンは自分のしでかしたことの重大さに悔やみ、アリア「さらば、愛の巣よ」を歌って逃げ去って行く。奥から出てきた蝶々さんにケイトは子どもを自分に渡すように、そして子どもは自分の子として育てて行くと伝える。全てを知った蝶々さんは、恥をさらすくらいならと自害しようとするが、無邪気な子どもが走りよって来る。子どもに、悲痛な最後の別れ(アリア:私の坊や:Tu,piccolo Iddio!)を告げると、「生きて恥をさらすよりも名誉の死を」と言って持っていた懐剣で自害する。あとには幻聴ともとれる、蝶々さんを遠くから呼ぶ声が響くのみである。