この作品について
原作:デイヴィッド・ベラスコ 『蝶々夫人』
台本:L・イッリカ、G・ジャコーザ
初演:1904年2月17日 ミラノ・スカラ座
プッチーニのエキゾチシズム(異国情緒)の結晶。ロンドンで観たベラスコの芝居『蝶々夫人』に刺激を受け、オペラ化を思い立った。日本のメロディーをふんだんに盛り込んで、外国人が夢見た美しい日本のロマンチックな物語をオペラにした。スカラ座での初演は失敗だったが、台本にも音楽にも手を加えて再演し、成功した。
「ある晴れた日」という邦題で有名なアリア「Un bel di vedremo」は、実は「晴れた日」ではないのである。確かに「bel」には、晴れている、とか美しいという意味があるが、この場合、天候のことを言及しているのではなく、何か良いことが起こる日、という意味あいで使われているにすぎない。(英語の「One fine day:ある日」という言葉のニュアンスと同じ。)だが誤訳が定着した今では、もはや正しく直すことはできないのかもしれない。
登場人物
- 蝶々夫人/ソプラノ(リリコ・スピント)
長崎出身の15歳の少女。名門の家に生まれたが、父の切腹以来家名は崩壊、芸者にまで身を落とした。ピンカートンとの結婚も、仲買人に現地妻として売られたのだが、幼い蝶々さんは愛の結婚だと思い込み、幸せいっぱい。一幕の幸せや二幕の希望も、三幕で無残にも打ち砕かれる。舞台上では絶対15歳に見えない。なぜなら、蝶々さんは「ソプラノ殺し」と言われているほど難易度が高い。全幕通して出ている上、音域も高い音がこれでもか!というくらい大量に出てくる。プッチーニにしてみれば蝶々さんの幼さ、純粋さを高い音域で表そうとしたのかもしれないが、歌う方にとっては結構いい迷惑(失言)。だから歌うのはほとんどベテラン歌手。蝶々さんの年齢設定を悠に倍は越しているお姉さま方が歌うので無理も無い。ここは見た目には目をつむっていただいて鑑賞して頂きたい。アリア「ある晴れた日」はあまりにも有名。誰でも最初のフレーズなら口ずさめるのではなかろうか。 - ピンカートン/テノール
アメリカの海軍の軍人。オペラ史上最悪の軽薄な人物ではなかろうか。蝶々さんの命を賭けた愛に裏切りという形で答えた人。最後には自分の行いの重大さに気付くが、後悔するだけで何の解決も成していない。そう、実は私はこの人が嫌いなのです(笑) - スズキ/メゾソプラノ
蝶々さんの結婚に不安を感じつつも、蝶々さんを守る忠実なお手伝いさん。まさに名脇役。 - シャープレス/バリトン
領事。蝶々さんの純粋な愛に気付き、軽薄なピンカートンを戒めるが、彼の言葉もピンカートンには届かなかった。
あらすじ
第一幕
丘の上に立つ日本家屋。この家はアメリカ海軍の軍人・ピンカートンと、今からその妻となる蝶々さんの家だ。ピンカートンはこれから始まる生活に心ときめかせるが、領事であるシャープレスは、蝶々さんのピンカートンに対する愛は本物だ、だから軽薄な考えは止めろと戒める。しかしピンカートンは、蝶々さんの事を現地妻とくらいにしか考えていない。そうこうしているうちに、花嫁・蝶々さんが到着した。結婚式を済ませ、晴れて結ばれた二人。だが突然、坊主である叔父が現われ、ピンカートンのために密かにキリスト教に回心した蝶々さんを怒り、そのような奴は一族から永久に追放すると言い、親族を皆引き連れて去って行く。(ちなみに、演出家が外国人の、とあるDVDでこの叔父が白塗り&歌舞伎役者&アフロの格好で現われたのを見た時は、シリアスなシーンなのに1人で大笑いしました。外国人から見た日本って、こんなイメージなのね…)一人捨てられた蝶々さんは悲嘆に暮れるが、ピンカートンは家族が誰もいなくても僕だけはずっと側にいてあげる、と約束する。そして有名な「愛の二重唱」で幕。
第二幕
仏壇の前で日本の神々に祈るスズキ。そんなスズキを見つけて「日本の神様はダメよ。アメリカの神様でなくちゃ」と戒める蝶々さん。ピンカートンがアメリカに帰ってから早や3年の月日が立っていた。彼との間に生まれた子どももいる(ピンカートンは知らないが)。蝶々さんはピンカートンの帰りを今か今かと待ちわびるが、スズキは、「異国の旦那様が帰って来たという話は聞いた事がない」と。蝶々さんはアリア:ある晴れた日:Un bel di vedremoを歌い、スズキに言い聞かせる。そこへシャープレスがピンカートンからの手紙を持ってやって来る。内容は「私はアメリカで結婚する事になった。蝶々さんがもしまだ私の事を覚えていたならそう伝えてほしい」というものだったが、ピンカートンの帰りを疑いもせず信じている蝶々さんを前に、シャープレスは本当の事を言えず、蝶々さんの一途さに心打たれて帰って行く。そうこうしているうちに、港から船が到着したと言う大砲の音が聞こえる。船を毎日観察していた蝶々さんが、やってきた船はまさにピンカートンの乗っている船だと叫ぶ。家中に花びらをまき、花嫁衣裳をまとい、蝶々さん、スズキ、蝶々さんの子どもの3人でピンカートンの帰りを夜中じゅう待つ。
第三幕
ハミングのコーラスによる美しい間奏曲を挟み、夜が明けるが、ピンカートンは一向に帰って来ない。疲れてしまった蝶々さんが子どもを連れて奥に行っている時、妻・ケイトを連れたピンカートンが現われる。それを見て、スズキは全てを悟る。ピンカートンは自分のしでかしたことの重大さに悔やみ、アリア「さらば、愛の巣よ」を歌って逃げ去って行く。奥から出てきた蝶々さんにケイトは子どもを自分に渡すように、そして子どもは自分の子として育てて行くと伝える。全てを知った蝶々さんは、恥をさらすくらいならと自害しようとするが、無邪気な子どもが走りよって来る。子どもに、悲痛な最後の別れ(アリア:私の坊や:Tu,piccolo Iddio!)を告げると、「生きて恥をさらすよりも名誉の死を」と言って持っていた懐剣で自害する。あとには幻聴ともとれる、蝶々さんを遠くから呼ぶ声が響くのみである。