スラヴ圏とその他の国々
ロシアでは19世紀前半のグリンカの『イワン・スサーニン』(1836)から、本格的オペラの創作が始まった。ダルゴムイシスキーを経て、ボロディンが『イーゴリ公』(1890)、ムソルグスキーが『ボリス・ゴドゥノフ』(1873)や、『ホヴァンチシナ』(1886)で、ロシア的色彩を色濃く反映した作品を生み、チャイコフスキーは、『エウゲニー・オネーギン』(1879)や『スペードの女王』(1890)で、西欧とロシアとの接点とも呼ぶべき音楽性を示した。リムスキー=コルサコフは『サトコ』(1898)、『サルタン皇帝の物語』(1900)、『見えざる町キーテジの物語』(1907)、『金鶏』(1909)といった傑作を生み、ラフマニノフも『アレコ』(1893)を残している。西欧に出てからのストラヴィンスキーも『うぐいす』(1914)、『エディプス王』(1927)、『放蕩者のなりゆき』(1951)を新古典主義的手法によって作曲し、プロコフィエフも『3つのオレンジへの恋』(1921)、『炎の天使』(1923年作曲)、『戦争と平和』(1944)という多彩な作品を生み出した。ショスタコーヴィチも、『鼻』(1928)や『ムツェンスクのマクベス夫人』(1934)で、真に20世紀的なオペラを作曲した。 チェコに目を転ずると、スメタナが『売られた花嫁』(1866)で民族的作品を生み出し、ドヴォルザークが『ルサルカ』(1901)で、インターナショナルな語法を示した。その後、ヤナーチェクは、『イェヌーファ』(1904)、『プロウチェク氏の旅行』(1920)、『カーチャ・カバノヴァー』(1921)、『利口な牝狐の物語』(1924)、『マクロプロス事件』(1926)、『死者の家から』(1930)という傑作を残したし、フィビフの名も忘れてはならない。
ハンガリーは、バルトークが『青ひげ公の城』(1918)で、コダーイが『ハーリ・ヤーノシュ』(1926)で民族的作品を生み出した。ポーランドのモニューシュコ、ペンデレッキにも注目したい。
イギリスは、何よりもブリテンが、『ピーター・グライムス』(1946)から最後の『ヴェニスに死す』(1973)まで、パーセル以来のイギリスの栄光を担う数々の傑作を生み出している。
アメリカでは、ガーシュインの『ポーギーとベス』(1935)によって、真にアメリカ的なオペラ芸術が確立されたと言えよう。