19世紀イタリア


 イタリア・オペラが、真にイタリア的な意味において円熟の黄金期を迎えたのは、19世紀に入ってからである。ロッシーニの形式美、様式性とドラマとの強い関連性、そして伸びやかな歌の魅力は、初期のファルサの数々から最後のオペラ『ウィリアム・テル』まで、彼のすべての作品に共通するものであった。オペラ・ブッファからセリアまで、76年間のその生涯のわずか23年間で、彼は実に多くの傑作を残している。『セヴィリヤの理髪師』(1816)をはじめ、殊に彼のオペラ・ブッファは広く愛されている。

 ロッシーニと共にイタリアオペラの黄金期を支えたのは、ドニゼッティとベッリーニであった。この2人は、後のヴェルディを筆頭に、多くの後輩たちに多大なる影響を与えている。しかし、ドニゼッティが類型的・伝統的手法によって作曲したのに対し、ベッリーニは、より自由な転調を含め、革新的要素を多く示しているのが興味深い。ベッリーニの息の長い優美な旋律線は、抒情性とドラマの融合を示し、ショパンにも多くの影響を与えている。ドニゼッティが『ランメルモールのルチア』(1835)や『愛の妙薬』(1832)といったセリアとブッファの両面で成功を収めているのに対し、ベッリーニは『ノルマ』(1831)や『清教徒』(1835)といったセリアの分野において傑作を残している。

 これら3人の巨匠によって確立したイタリア・オペラの様式をさらに発展させ、頂点を極めたのが、ヴェルディであった。初期の『ナブッコ』(1842)が、当時オーストリア支配下にあったイタリアの「祖国統一(リソルジメント)」の気運と合致し大成功を収めて以来、ヴェルディはイタリア・オペラの代名詞となった。中期の『リゴレット』(1851)、『トロヴァトーレ』(1853)、『椿姫』(1853)、『仮面舞踏会』(1859)、『運命の力』(1862)、『ドン・カルロ』(1867)を経て、後期の3作、すなわち『アイーダ』(1871)、『オテロ』(1887)、『ファルスタッフ』(1893)で、ヴェルディはイタリア・オペラ界最高の巨匠となる。実際、一作ごとのその進歩・成熟の足跡は、「オペラ界のベートーヴェン」とも呼べる変化を示している。初期のドニゼッティやベッリーニの追従者としての趣きから、最後の傑作『ファルスタッフ』で到達した至高の世界まで、ヴェルディの進歩は驚嘆すべきものがある。ドラマと音楽の不可分の統一は、ついにヴェルディによって達成されたのである。ヴェルディの輝きは、同時代人の名匠メルカダンテの存在すら、今日の我々には印象の薄いものとしてしまっている。北方の巨人ワーグナーの影響を受けたボーイトの『メフィストーフェレ』(1868)や、ボーイトが台本を書いたポンキエッリの『ジョコンダ』(1876)の2作品のみが、かろうじてヴェルディの強烈な光の中でも、自己の存在を主張していると言っても過言ではあるまい。