19世紀ドイツ


 オペラに関しては、ドイツはイタリアやフランスよりは、明らかに後塵を拝していた。 古くはシュッツ、バロック期のヘンデル、あるいは前期古典派の時代のウィーンでのオペラはあるにせよ、 オペラ史的に見て、モーツァルトのジングシュピール以降、やっと本格的な「ドイツ語のオペラ」が 歴史的にも価値を持ち始める。ベートーヴェンの唯一のオペラ『フィデリオ』(1805)や、ウェーバーの 諸作品、中でも『魔弾の射手』(1821)は重要である。ことに後者によって、ロマン派オペラの時代が 開幕したと見なすことは通説となっている。彼ら以外にもマルシュナー、シュポーア、シューベルトらの 作品も存在しており、近年はそれらの再評価の動きも見られる。『魔笛』『後宮からの誘拐』『フィデリオ』 『魔弾の射手』といったドイツ語オペラ初期のいわゆる「救出オペラ」のテーマは、この時代の聴衆の嗜好を 如実に示している。彼らの後を受けて登場したロルツィング、ニコライ、フロトーらは、いかにもドイツ的な 素朴さの中にロマンティックな情緒を盛り込むことに成功している。殊にニコライの 『ウィンザーの陽気な女房たち』(1849)やフロトーの『マルタ』(1847)は、広く親しまれている。 これらの作品の頂点にあるのが、ワーグナーの作品である。

 ウィーンの魔法劇、フランスのグランド・オペラ、イタリア・オペラ、ドイツの「救出オペラ」、 さらにショーペンハウアーの哲学までも吸収したワーグナーは、初期の『妖精』『恋愛禁制』『リエンツィ』 といった作品での試行錯誤の後、『さまよえるオランダ人』(1843)で、自らの語法の方向性を見極める。 ドイツ的な語法をインターナショナルな次元にまで高めることに、ワーグナーは成功した。続く 『タンホイザー』(1845)、『ローエングリン』(1850)と、その音楽的深みとロマンティックな情緒の ふくらみを増したワーグナーは、ついに『トリスタンとイゾルデ』(1865)で、従来の「歌劇(オペラ)」 の名を捨てて「楽劇(ムジークドラマ)」の理念を打ち立て、「無限旋律」や「ライトモティーフ」の技巧 によって、全く独自の方向性を獲得する。続く『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1868)、 『ニーベルングの指環』(1853〜1974作曲)、『パルジファル』(1882)と大作を発表した彼は、ドイツの 音楽界のみならず、イタリア、フランスの作曲家にまで影響を及ぼした。彼の周辺の作曲家では、コルネリウスや フンパーディンク、キーンツルの名が挙げられるが、中でもフンパーディンクの代表作『ヘンゼルとグレーテル』 (1893)は、ドイツの歌劇場のクリスマス頃の重要なレパートリーの一つとなっている。