18世紀のフランスは、ラモー、カンプラのオペラ・バレエの時代を経、リュリ派とラモー派の間のトラジェディ・リリックに対する論争、さらにブフォン論争、「オペラ改革」後のグルックの活躍、そして、それに対するピッチンニ派の競争、あるいは、オペラ・コミークの分野におけるグレトリの『獅子王リチャード』(1784)の創作等々の時代の後に、フランス革命が勃発する。この社会の変化の中で登場したケルビーニは、『メディア』(1797)や『アナクレオン』(1803)を生み出し、19世紀の扉を開く。こうして訪れた19世紀は、グランド・オペラとオペラ・コミークの時代であった。
グランド・オペラの先駆的作品としては、スポンティーニの『ヴェスタの巫子』(1807)、『フェルナンド・コルテス』(1808)、ロッシーニの『コリントの包囲』や『モーゼ』のフランスでの上演(1826〜1827)や大作『ウィリアム・テル』、オーベールの『ポルティチのおし娘』が挙げられる。それらの後に生み出されたマイアベーアの『ユグノー教徒』(1836)、『預言者』(1849)、『アフリカの女』(1865)、アレヴィの『ユダヤの女』(1836)、オーベールの『悪魔ロベール』(1831)等の作品によって、グランド・オペラは隆盛を極める。グランド・オペラは、メロドラマ風の題材を用い、音楽、舞踊、美術を総動員して作り上げられる大スペクタクルであった。この時代を支配した台本作家として、スクリーブの名を忘れてはならない。ベルリオーズの『トロイ人』(1856〜1863)、グノーの『ファウスト』(1859)、マスネの『ラオールの王』(1877)も、グランド・オペラの傑作である。グランド・オペラは、ドニゼッティをはじめ、とりわけヴェルディやワーグナーにも強い影響を与えた点でも、オペラ史上重要である。
一方、オペラ・コミークの分野では、ボイエルデューの『白衣の婦人』(1825)、エロールの『ザンパ』(1831)、オーベールの『フラ・ディアボロ』(1830)が生み出された後、普仏戦争によって、しばらくの沈滞が訪れる。19世紀後半に入ると、トマの『ミニョン』(1866)、ベルリオーズの『ベアトリスとベネディクト』(1862)、さらにオペレッタの作曲者として『地獄のオルフェ/天国と地獄』(1858)をはじめとする数々の傑作を生み出したオッフェンバックの『ホフマン物語』(1881)、ビゼーの『真珠とり』(1863)や『カルメン』(1875)等の登場によって、オペラ・コミークの世界も変化を示し始める。ドリーブの『ラクメ』(1883)やマスネの『マノン』(1884)、シャルパンティエの『ルイーズ』(1900)の名は、とりわけ重要である。ドニゼッティも、『連隊の娘』(1840)によって、この分野に加わっている。
これらの2分野に明確に分類し難い作品として、サン=サーンスの『サムソンとデリラ』(1877)、マスネの『ウェルテル』(1892)、『タイース』(1894)、『ドン・キホーテ』(1910)といった忘れ難い傑作の名が挙げられる。