コシ・ファン・トゥッテ / Così fan tutte

この作品について

台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ
初演:1790年1月26日 ウィーン・ブルク劇場

 『フィガロの結婚』を観た皇帝ヨーゼフ2世が、その中に出てくる「Così fan tutte(女はみんなこうしたもの)」という台詞をテーマに、モーツァルトに新たなオペラを作らせたのがこの作品。貞節をめぐる喜劇の中に人間の本質が映し出される。このオペラを「女性軽視のオペラだ」と言う人もいるが、あくまでこういうこともありえるのだ、という風刺をしているに過ぎないと、私は思う(もちろん、現実には男女逆のシチュエーションも大いにありうる)。
 私が思うに、このオペラで本当に言いたかったことは、女の浮気性もさることながら、姉妹の心変わりを知って嘆く男性陣の、「でも、そんな女だけれど、女がいなければ生きていけないのが我々(=男性)なのだ」という言葉にあると思う。どんなに女が愚かだろうと、いなければ男も生きてはいけない。ある意味、奥が深い言葉ではないだろうか。

登場人物

あらすじ

第一幕
 青年仕官グリエルモとフェルランドは、美しい姉妹のフィオルディリージ、ドラベッラとそれぞれ婚約を交わしている。今日も今日とて2人が恋人の自慢をしていると、老哲学者のドン・アルフォンソがからんで曰く、「女が貞淑な生き物だと?バカバカしい!」。
 いきり立った士官たちは、さっそく老哲学者と賭けをすることになった。老人が一計を案じて姉妹の浮気心を試し、女性陣がまんまと引っかかれば老人の勝ち。貞節を貫けば掛け金は青年たちのものに。海を望む庭で姉妹が散歩をしていると、老人がやって来て、「仕官たちの出征が決まった。」と告げる。そこへ軍服姿の婚約者たちが現われ、嘘八百の別離シーンが展開される(別れの5重唱)。だが、小間使いデスピーナにしてみれば、そんな女主人たちの純情ぶりなど、笑止千万。したり顔で浮気の勧めを説く(女も15になったら:Una donna quindici anni)。(つか、勧めるなよw)そこへ現われたのは、士官たちが巧みに化けた、ヒゲもじゃのアルバニア人2人。不躾にも姉妹たちに言い寄るが、姉妹たちの守りは堅い。異国人たちは、傷心のあまり毒を仰ぐそぶりまで見せ、ドタバタ劇が繰り広げられる。

第二幕
 老人に買収されたデスピーナの執拗なそそのかしも手伝ってか、さすがの貞操堅固な姉妹にもスキが見えてきた。折りしも異国人たちが楽士を引き連れて現われ、懲りないプロポーズ攻勢。恐る恐る男たちに腕を貸し、散歩に出る姉妹たち。こうして実の婚約者同士とはあべこべのカップルが出来上がる。ただし、妹のドラベッラは早々と新しい恋にのめり込んでいるのに、姉のフィオルディリージはなおも後ろめたさに新しい恋に踏み込まない。どうやらグリエルモだけは賭けに勝ったと見えたのだが……。結局、フィオルディリージも、執拗な男の求愛についに陥落。夢見心地の姉妹に反して、男2人にとっては踏んだり蹴ったりの事態。しかも老哲学者は今更のように「女はみんな、こうしたもの(Così fan tutte)」となに食わぬ顔で説く。しかし、男性陣は男性陣で、そんな女がいないと生きていけないのが男なのだと自覚する。
 さて、2組の婚礼が行なわれる運びとなり、4人がそれぞれ誓約書を交わすと、突如、軍隊が帰還。あわてて逃げ去った異国人と入れ違いに仕官たちが現われ、先ほどサインした結婚誓約書を手に姉妹の不貞をなじる。弁解の余地がなく、許しを乞う姉妹。老人の取り成しで2組はよりを戻し、まずは一件落着。