メサイア解説

++ まだまだ工事中 ++


全曲を通しての解説
メサイア(に限るわけではないが)は、音型による情景描写が細かくなされている。
言葉の意味が多少分からなくても、音楽の雰囲気で大まかな意味が
汲み取れるわけである。それは伴奏であるオーケストラにも共通している。

メサイアの歌詞はすべて聖書から取られているが、曲によっては、
聖書に「私」と書かれているところが「彼」になっている。
これは、聖書を読む際には前後の文脈から
「私」というのが「キリスト」であると分かるが、
単独で書くといったい誰のことか分かりにくくなるため、
大文字の「彼(He、His、Himなど)」で書かれている。

ここでは敢えて、聖書の語句をそのまま載せているので、
状況によって「私」を「彼」に読み替えて下さい。

No.2:慰めよ、私の民を
「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。
「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。
その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、
2倍のものを主の手から受けたと。」
荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。
荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

短調の序曲から一転、穏やかな安らぎの曲調になる。
優しく「慰めよ」と言う歌いだしは、ついに救い主であるキリストが
この世に来られることを確信させるものである。
曲の最後はレチタティーヴォのようになり、
次のアリアへの導入部ともなる。

No.3:全ての谷は
すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。
盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
イザヤ書40章4節

この曲は、「谷」や「山」を歌っている部分が上行や下行の音型で、
「平地」や「平野」という部分はなめらかな音型になっている。

No.4:主の栄光がこうして
このようにして、主の栄光が現わされると、
すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。
イザヤ書40章5節

「すべての者が共に見る」ように、合唱の全てのパートが一緒に歌う部分が多い。
またフレーズの終わり何箇所かに「ヘミオラ」(またはヘミオーラ)と呼ばれる、
3拍子×2小節をあたかも2拍子×3小節のように作られている部分がある。
アクセントの位置も「強弱弱・強弱弱」ではなく、「強弱・強弱・強弱」に変わる。

No.5:万軍の主は仰せられる
まことに、万軍の主はこう仰せられる。
しばらくして、もう1度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。
わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、
わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。
ハガイ書2章6〜7節

「揺り動かす(shake)」という歌詞の部分には16分音符のメリスマがあてられ、
天地が激しく揺り動かされていることを表わす。
「天(Heaven)」は高い音符、「地(Earth)」は低い音符で表わされる。

No.6:だが、彼の来る日に
だれが、この方の来られる日に耐えられよう。
だれが、この方の現われるとき立っていられよう。
まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。
マラキ書3章2節

「精錬する者の火」という歌詞になると音楽が激しくなる。
バージョンによってはバスが歌う場合もある。

No.7:彼はレビの子らをきよめ
この方は、…レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。
彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり…
マラキ書3章3節

「きよめる(purify)」の歌詞に16分音符のメリスマがあてられ、
神によってきよめられていくことを表わす。

No.8:良い知らせを伝える者よ
シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。
エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。
声をあげよ。恐れるな。ユダヤの町々に言え。
「見よ。あなたがたの神を。」
イザヤ書40章9節

長い音符やメリスマによって良い知らせ(福音)が伝えられる様子を表わす。
「見よ、あなたがたの神を(Behold your God)」は長い音符で人々に命令をする。
合唱の出だしは福音がソプラノ→バス→テノール→アルトの順に伝わっていく。

No.9:見よ、闇は地を覆い
見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。
しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。
国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
イザヤ書60章2〜3節

「闇が地を覆い」は低い音型で歌われるが、「あなたの上には主が輝き」になると
メリスマによって音が上行し、主の輝きを示す。
「栄光(glory)」も16分音符のメリスマで歌われる。

No.10:闇の中を歩む民は
やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
イザヤ書9章2節

前奏が闇の中を歩く人間のように不安げに動く。
それに合わせてアリアも上がったり下がったり不安定な動きを繰り返すが、
「光(light)」には長い音符や長いメリスマが当てられ、
闇を歩く人間にとって重要なものであることを示す。
「闇(darkness)」では不安定な動きをしながら音が落ちていく。
闇に落ちることを表わしている。

No.11:ひとりのみどり子が
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
イザヤ書9章6節

「生まれる(born)」に長く、細かいメリスマがあてられている。
何世紀と待ち望んだ救い主が生まれる大きな喜びを示す。
「主権(the government)」は威厳をあらわす付点のリズムで歌われる。

No.14:するとたちまち
すると、たちまち、その御使いと一緒に、
多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
ルカ書2章13節

伴奏が天使の軍勢の羽ばたきを表わす。

No.15:いと高きところには
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカ書2章14節

天使の合唱。フォルテで力強く始まり、天使が去っていく後奏は、
次第に弱くなっていき、最後は消え入るように終わる。
「地に平和(peace on earth)」の部分は、天から見た地のように、
低く平たい音で表現されている。

No.16:喜べ、シオンの娘よ。
シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。
それも、雌ろばの子の子ろばに。
ゼカリヤ書9章9節

ここまでずっと待っていたソプラノ歌手によるアリア。
まさにコロラトゥーラのためのアリアで、
喜びをころころ動く16分音符で表現。

No.17:主はその群れを養い
主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、
ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。
イザヤ書40章11節

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
マタイ書11章28〜29節

時にはソプラノだけによって歌われることもある。
ゆったりした、牧歌のような雰囲気の曲。まさに、安らぎ。

No.18:私のくびきは負いやすく
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
マタイ書11章30節

メリスマによって荷が「軽い」ことが表わされる。

No.19:見よ、世の罪を除く神の小羊
…「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
ヨハネ書1章29節

受難のリズムと言われる、足を引きずるような付点のリズムで
キリストがこれから受難に向かうことを暗示している。

No.20:彼はさげすまれ
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
イザヤ書53章3節

打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、
侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。
イザヤ書50章6節

まさに、受難の曲。私たちの罪のためにキリストが苦痛を負った。
中間部のオーケストラの付点のリズムは、
激しいむち打ちの音を表わしている。

No.21:彼は私らの病を担い
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、…
イザヤ書53章4〜5節

私たちの罪がキリストを苦しめたのだ、という確信に満ちた曲。
ぶつかりあう2度の音が、心の痛みを表わす。

No.22:彼のうち傷によって
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
イザヤ書53章5節

前の曲から途切れることなく続く曲。
「いやされた(healed)」は、とても穏やかな音型が使われている。

No.23:私たちはみな羊のように
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、
自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を、
彼に負わせた。
イザヤ書53章6節

パートごとにあっちこっちへ行く音型や、揺れ動くメリスマが、さまようことを表す。
「All we」と「like seep」をはっきり切らないと、
「私たちはみんな、羊が好きだ」という意味になりかねないので注意。

No.24:私を見るものはみな
私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
詩篇22篇7節

「頭を振る」の部分で、オーケストラがゆらゆら揺れる。

No.25:主に身を任せよ
「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。
彼を救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」
詩篇22篇8節

十字架についたキリストをあざける群衆の罵り。
人間の嫌な部分が、これでもかというほど表されている。

No.26:そしりが心を打ち砕き
そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。
私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。
慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。
詩篇69篇20節

十字架に架けられたイエスの心情を表す。
ゆったりした伴奏が、イエスの悲しみを痛いほどに表している。

No.27:道行くみなの人よ、よく見よ
道行くみなの人よ。よく見よ。主が燃える怒りの日に私を悩まし、
私をひどいめに会わされたこのような痛みがほかにあるかどうかを。
哀歌1章12節

オーケストラが1拍目をほとんど演奏しないレチタティーヴォ。

No.28:彼は取り去られた
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
イザヤ書53章8節

イエスの死を告げる、短いレチタティーヴォ。
感情的な動きはなく、淡々と語られる。

No.29:まことにあなたは
まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
詩篇16篇10節

イエスの死が永続的なものではないことを表すアリア。

No.30:門よ、頭をあげよ
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王がはいって来られる。
栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王がはいって来られる。
その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。
詩篇24篇7〜10節

イエスの復活を堂々と告げ知らせる合唱。
前半を合唱の一部分のメンバーで歌い、
途中から最後までを全員で歌うというパターンもある。

No.31:神の御使いはみな
…「神の御使いはみな、彼を拝め。」
ヘブル書1章6節

御使いですらも彼(イエス)を拝む。
イエスが本当に神の子である、ということを表す。

No.32:あなたは高い天にのぼり
あなたは、いと高き所に上り、捕われた者をとりこにし、
人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。
神であられる主が、そこに住まわれるために。
詩篇68篇18節

アルト又はバスのアリア。
全てを超越して支配されるキリストを意味する。

No.33:主は御言葉を賜る
主はみことばを賜わる。
良いおとずれを告げる女たちは大きな群れをなしている。
詩篇68篇11節

始めの一言が2つの声部によって歌われた後、全パートが一斉に歌いだす。
これは福音の広がりを表す。
細かいメリスマも、広がりを表す表現の1つ。

No.34:福音を伝える者の足は
良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。
平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、
「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。
イザヤ書52章7節

エルサレムの廃墟よ。共に大声をあげて喜び歌え。
主がその民を慰め、エルサレムを贖われたから。
イザヤ書52章9節

演奏によってはカットされることが多い曲。
アルトの2重唱と合唱という、珍しい演奏形態。
「reigneth(治める)」という言葉が長く伸ばされ、神の支配が長く続くことを意味する。
「glad tidings(良い知らせ=福音)」という言葉が次々とパートを渡り歩いていく。
福音が伝わる、ということを表している。

No.35:その声は全地に響き渡り
…「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」
ローマ書10章18節

主題がパートごとに次々と引き継がれ、満ち満ちた和音で終わる。
世界に福音が満ち溢れることの表れ。

No.36:なぜ国々は騒ぎ立ち
なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、
主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
詩篇2篇1〜2節

なんと言ってもイントロがいい。カッコいい。
1歩間違えると(?)ゲーム音楽のような出だしだが。
3連符のメリスマが数小節にわたって続く箇所が何回も出てくる。
この場合のメリスマは、神に従わない者への怒りである。

No.37:彼らの枷を打ち砕き
「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を解き捨てよう。」
詩篇2篇3節

神に従わない者たちの言葉。
早いテンポと細かい音符で怒涛のように進む。
余談だが、藝大生が毎年12月に歌う「メサイア」の中で、
伝統的にこの曲が一番上手だとか。
(テンポが早いからズレる暇が無いだけだったりして)

No.38:彼らを打ち砕き
あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」
詩篇2篇9節

何回も出てくる1オクターブの跳躍が「砕く」ことを表す。

No.39:ハレルヤ
…「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
黙示録19章6節

…「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。
主は永遠に支配される。」
黙示録11章15節

…「王の王、主の主。」…
黙示録19章16節

おそらく、「メサイア」の中で最も有名な曲。
テレビ番組やアマチュア合唱団、果てはアニメに至るまで用いられている。
ちなみに「晴れるや」というギャグは「アーメン、ラーメン」と並んで
私が一番嫌いなギャグです。私の前では絶対に口にしないように。
この曲に関しては解説する間でもないと思うが、
この曲が初演された時、イギリス国王が感動のあまり立ち上がって拍手したという逸話から、
この曲は立って聞くという慣例になったという。
実はそれまで寝ていたのに、トランペット(メサイア中ではこの曲で初めて用いられる)
の音に驚いて突然立ち上がってしまった、という話もあるらしい。

No.40:私は知っている
私は知っている。私を贖う方は生きておられ、
後の日に、ちりの上に立たれることを。
私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
ヨブ記19章25〜26節

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として
死者の中からよみがえられました。
1コリント15章20節

第3部の出だしを飾る、美しい曲。
終始ゆるやかな音楽で、神にある平安を表すかのようである。

No.41:死が一人の人を通して
というのは、死がひとりの人を通して来たように、
死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、
キリストによってすべての人が生かされるからです。
1コリント15章21〜22節

同じ形式を2回繰り返すことで、
アダムが来るべき人(イエス)の雛形であることを明確にしている。
前奏がオルガンによる和音1つしかないため、
合唱のメンバーにとってはけっこう怖い曲でもある。

No.42:聞きなさい
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。…
1コリント15章51〜52節

掛留音(和音が変わっても残っている音)によって
神秘的な雰囲気をかもし出している。
同時に、次のアリアへの劇的な導入の役割も果たしている。

No.43:ラッパが鳴ると
…ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、
私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、
死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
1コリント15章52〜53節

おそらく、メサイアの中で最もカッコいい曲。
トランペットとバスのかけあいが最高。
どこをとっても最高。ただ、曲自体は非常に長く、
全部歌うと8分くらい歌うことになる。
それもまた、カッコいい(何

No.44:死よ、お前の勝利はどこか
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
1コリント15章55〜56節

時としてカットされることもある2重唱。
テノールとアルトという、近い音域が用いられている。
メロディは次の合唱曲と同じ主題が用いられている。

No.45:しかし神に感謝すべきだ
しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちのイエス・キリストによって、
私たちに勝利を与えてくださいました。
1コリント15章57節

神への心からの感謝を告白する曲。
「thanks(感謝)」「God(神)」「Victory(勝利)」という言葉が強調されている。

No.46:神が味方であるなら
…神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
ローマ書8章31節

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ローマ書8章33〜34節

ソプラノによる最後のアリア。
メロディはNo.6のアリアに似ているところも無きにしもあらずだが、
激しい言葉よりも、静かに諭されているようで心にしみる曲である。

No.47:ほふられた小羊は
…「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、
賛美を受けるにふさわしい方です。」
…「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が
永遠にあるように。」
黙示録5章12〜13節

「メサイア」の合唱曲で「ハレルヤ」の次に有名だと思われる。
歌詞は黙示録に出てくる言葉で、何千何万という無数の御使いたちと
神に造られた被造物が、こぞって神を讃える壮大な賛美である。
「メサイア」という作品をしめくくるのに相応しい曲と言える。