日記帳


● 朗読劇の練習 ●
2005-8/18(Thu)

はてさて、1週間後に朗読劇の本番が迫ってきています。
今日は朝から、2回目の朗読劇の練習です。

今回はなんと!おじいさん役ですよ〜!

_| ̄|○

なんか…普通の役が一生やれない気がしてきました。

前回の練習は、とりあえず大まかな動きと爺さまのイメージを確立して、
という所までで終わってしまったので、
今日の練習でなんとしても動きをマスターして、
自分の「爺さま」を作り出さねば。

と、言うものの、実を言うと私、

自宅で全く、朗読の練習をしていません!

思わず太字にしてしまいましたよ!
小田先生に聞かれたら社会的に抹殺されそうな発言ですね!

それはともかく、ひたすら練習あるのみ、ということで、
まるっと1日を費やして、自分の中の爺さまのイメージ作り。
みんなのアドバイスを受けながら、だいぶん固まってきました。

「じゅごん」のお婆役がかなり役に立っているなぁと
この役でリアルに感じさせられました。
学校のオペラ実習の授業等で、うっすらと実感することはあったのですが、
やはり年をとった役をやるとひしひしと実感します。

でも演出は小田先生、本物の爺さm(略

…本物相手にそれを演じるのは、かなりのプレッシャーですね。

こんな発言をしている時点で「何がプレッシャーだよ(笑)」って感じですかね。

でも、「じゅごん」の時よりも、明らかに自分の内面が変化してます。
あの頃は、最初よりかは自分の殻を破れたものの、
まだどこかで、自分を守っている部分があったように思います。
もちろん、その時に出来る精一杯のことをやりました。後悔はありません。
でも、自分を捨て切れていない部分があったのも確かでした。

今回、爺さまをやっていて、どこか開き直った自分がいます。
諦めの開き直りではなく、どんどんと役に染まっていく自分が。
それが心地よくもあり、楽しくもあり。
そうか、これが「役を演じる」ということなのか、とうっすらと感じています。

同時に、「台詞」というものも私の興味を大いに惹いています。
台詞は声に出して表現するものです。
台詞の中には、声にならない、という表現もあるかと思いますが、
歌に通じている、というか寧ろ、台詞は歌と同じものなんだ、というのが
今の私の考え、感覚です。

イントネーションによる高低があり、感情による高低があり、
感情によるテンポがあり、呼吸によるテンポがある。
全てが密接に絡んで、聞く人に登場人物の思いや、教訓を伝える。
歌と全く、一緒ですね。

言葉や声によって感情を伝える。
歌はそれにあらかじめ決められた音程がついているだけ。
もちろん、その音程も感情からきていることを忘れてはならない。
朗読劇をやることで、歌にとって一番大切なことを、改めて実感しています。

さぁー!あとは台詞を覚えるだけですよー!(←演技もまだだってば

_| ̄|○ すいません、いつも同じ個所で間違えます…

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