日記帳


● だんだん迫る最後の日 ●
2005-3/19(Sat)

毎週土曜日は、ピアノの先生をする日です。
17歳の誕生日から続けてきましたが、
今月いっぱいで先生をやめることにしています。

来週の土曜が最後のレッスンなわけですが、
以前、そのことを生徒の小学生に話したら泣き出してしまって。
まさか泣くとは思ってなかったんで、すごくびっくりしました。
目からポロポロと涙を流して、「だめ!やめない!」と…。

その子はすごく人見知りをする子で、
普通に話してくれるまでに3〜4ヶ月かかりました。
ですが今ではすっかり慣れて、教えることもどんどん吸収してくれます。
子供の成長は早いですね。うらやましい限りです。

先生として慕われてるんだなぁと(自分で勝手に)思って、
少しジーンと来ました。結局その日、その子は泣き続けてしまって、
宿題のうち1曲を弾けずに終わってしまいましたが…。

今まで、そんなに多くはなかったけれど、ピアノを教えてきた。
技術だけに走るのではなく、「音楽」を楽しんでもらいたい、
というのが私の一番の願いだった。

ピアノのプロにならなくてもいい。
将来音楽の仕事につかなくてもいい。
「音楽」が好きな子に育ってほしい、
「音楽」を楽しめる大人になってほしい、と願って教えてきた。

私の願いは通じただろうか。それはまだ分からない。

至らなかった点もたくさんあるけれど、
私は、私なりに、生徒全員に最善を尽くしたつもりだ。

生徒が楽しそうにピアノを弾いていると、すごく嬉しくなる。
覚えたての曲を、何度も何度も繰り返し弾く。
もう合格しているのに、ずっと気に入った曲を弾いてくる子もいる。
おそらく家でも何度も弾いているのだろう、
明らかに1週ごとに上手くなっている。

私はそれでもかまわないと思っている。
カリキュラム的にはどんどん新しい曲をやらなければならないし、
実際、1つでもたくさんの曲を弾かせてやりたいと思う。
でも、好きな曲を何度も何度も弾くその姿は、
いざ目の前にすると、否定したり怒ったりできなくなる。

本人は、それで「音楽」を奏でている。自分を表現している。
言葉では表せない、何かを表現しようとしている。
それこそ、「音楽」の本質なのかもしれない。

今までの7年弱、生徒たちから多くのことを教わった。
技術では語れない、音楽に対する純粋な気持ちを。
これから先、生徒たちには、音楽を楽しむ心を忘れないでいてほしい。

一番最初に教え始めた生徒たちは、
習いに来始めた頃は小学校1年だったが、
今はその子たちは中学生になっている。
同じように、私も年を重ねていってるんだなぁ、と実感する。

最初、教え始めた頃は、教えてくれる人も頼れる人もいなくて、
本当に暗闇を手でさぐるようにレッスンを始めていったのを覚えている。
しかも、生徒とは10歳しか違わない先生…。

今だから言えることだが、土曜の学校の授業が終わってから
(私が高校生の頃は、まだ土曜日の授業があった)
急いで帰宅して、制服をスーツに着替えてレッスンしていた。
まさか高校生だとは、生徒にも親御さんにも言えなかった。

不安だったし、やめてしまいたい、と思ったこともあった。
だけど、ピアノの先生として、自分はこの子たちに「責任」がある。
この子たちが将来、音楽を好きになるか、嫌いになるかは、
自分の腕にかかっている、と。ものすごいプレッシャーだった。

しかも、実は私は子供が苦手だった。
子供とどうやって接したらいいか、全く分からなかった。
どうしたら子供の興味を引けるか、とか、分からないことだらけだった。

今考えても、自分がどうして子供を教えられたのか、不思議でしょうがない。
こんなことを言ったら、親御さんに怒られてしまいそうだが。

来週はピアノ最後のレッスン。
もう、生徒の出席カードに出席シールを貼ってやることもなくなる。
これから先、また先生として活動するかどうかは、全く分からない。

今まで教えてきた生徒たちが、音楽を楽しめる人になれますように。
…なんだかとりとめのない文章になってしまった。

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