日記帳


● 「自分」?  ●
2004-10/1(Fri)

あれよあれよと言う間に10月になってしまいました。
「じゅごん」の稽古と、院生オペラの稽古で
埋め尽くされている毎日です。

最近おもしろいネタがない…(´Д`;)

惰性に乗ったまま毎日が過ぎていきます。
忙しさに便乗して自分を振り返る時間がなかったり、
それもまた苦ではない自分がいたり。

先日、「じゅごん」のためのレッスンで、
「自分を捨てること」を教わりました。
役を演じるのに不必要な「自分」は捨てること。
それは決して「個性」を失うことではなく、
その役を演じる上で邪魔になる、
「自分」というエゴを捨てること。

これを聞いた時、かなり考えさせられました。
今まで私は、「自分」という人間に
固執しすぎていたのかもしれない。

昔から、私は色々な看板を背負ってきた。
実際にヨッコラショと背負ったわけではないですよ、
悪しからず。
自分でやったことは自分で責任を負うこと、
これが我が家の教育方針。知らず知らずの間に、私は
「しっかりした人間にならねば、それに見合う人間にならねば」
と思ってきた。
別に我が家の教育を否定しているわけではない。
そう育ててくれた両親には、とても感謝している。

そのせいか、周りからは「しっかりした子、できる子」
という見られていた。
「やはりしっかりしなくてはいけないんだ」と
疑いもなく思っていた。

きっと私はまだ「いい子」を演じてしまっている。
親の、そして周りの期待に沿う、「いい子」を。
「なんでもできる子」でなくてはならない、と
自分を言い聞かせて。

「自分を捨てること」と聞いて、最初、私は反発した。
自分を捨ててしまっては、役に負けてしまうではないか、と。

でもこれこそが、「自分」というエゴだということに気付いた。
そして、固執するほどの「自分」ではないということにも。

固執するほど、いい「自分」ではない。
守ろうとするほどの「自分」ではない。
それに気付いてしまった。

決して卑下ではなく、単純にそう思った。
そこまでして守るほど、何も成してきてはいない。

それならば。
何を守ることがあるだろう。
何を迷うことがあるだろう。
自分の役に飛び込んでみればいい。
飛び込んで、失敗したところで、失うものは何もない。
「いい子」でなくていい。「優等生」でなくていい。
上手くなくていい。失敗してもいい。
大切なのは、怖れずにやってみるということ。

そう考えると、今まで背負ってきた何かが、
心地よく外れたような気がした。

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