日記帳


● すさまじい2日間:その2 ●
2004-7/11(Sun)

次の日。日付は変わってないが、気分的には次の日。
睡眠時間自体は少ないものの、体調は悪くない。
これはいけるかも?と思いつつ、朝起きぬけの一番低い声
(真中のドから2つ下のドでした)を親に聞かれてしまい、
「今日大丈夫なの?!」といきなり言われる。

あまり気にせず、朝ごはんまでの全過程を済ませて、練習してみる。
学校でいつも先生に言われている発声を考えつつ、
歌詞の意味を考えつつ。

ふむ。悪くない。
起きぬけの声ではあるが、時間はもう少しあるし、
歌うまでに喉は起きるだろう。
メロディだけは間違えないようにせねば。

9時半。教会へ向かう。
歌う前に読む聖書の箇所をチェックする。

教会に着いて、まずは伴奏の音量チェック。
ボリュームを最大にしても、そんなに大きくない。
しまった、やはりピアノの音だけだから
もう少し大きめに弾くべきだったか?
一番後ろでも聞こえないわけではないので、
とりあえず音量はクリア。

問題は歌。
前々から自分で練習していたとはいえ、
完璧に歌いこんであるわけじゃない。
ましてや、きちんとしたメロディやリズムですら、
今日(の夜中)に取った箇所だってある。
しかも牧師先生夫妻はドイツ人だ。
いくらメサイアが英語とはいえ、ドイツ語とは親戚みたいなもんだし、
先生は英語も(日本語も)ペラペラだから
歌詞にちょっとでもミスがあれば、すぐばれるだろう。

だが、不思議に今日は落ち着いている。
いつもはもっと落ち着かないのに。

10時。礼拝が始まる。
私が歌うのは、先生のメッセージの前だ。
プログラムは着々と進んでいく。

賛美や祈りの後、私が歌う時が来た。
まずは、今日、この曲を歌うことにした経緯を話した。
昨日、バッハのヨハネ受難曲を聞いてきたこと。
合唱の言葉が、自分の罪の表れであると気づかされたこと。
歌詞が英語なので、歌詞の意味を聖書から抜き出して読む。
不思議だ。落ち着いている。

そして、自分で伴奏くんのスタートボタンを押す(ちょっとマヌケ)。
曲を知っている人がいたのか、どこかから鼻歌が聞こえる。
ちょっと、嬉しい。

歌が始まる。
ひとつひとつの言葉の意味をかみしめて、歌う。
今までに、こんなに歌詞の意味をかみしめて歌ったことは
なかったかもしれない。

この曲は、歌詞が少ない。
だから、余計に歌詞が大切に感じられる。
主の痛み、苦しみ。何も悪いことはしていないのに。
ただ、私を愛してくださるがゆえに、苦しまれた。

中間部は、音楽が激しくなる。
自分をムチ打つ者に、逆らわず、その苦しみを受けられた主。
主をムチ打ったのは、私の罪だというのに、
主はそんな私の罪を赦してくださった。

自分自身への怒りと、悲しみ…激しい音楽の中に、
私はその感情しかなかった。ただ、悲しかった。

苦労して作った「じゃん、じゃん!」も、うまくこなした。
自分でも、つい何時間か前に急いで作った割には
うまくこなせたと思った。

再現部。最初と同じメロディに戻る。
今までは、「同じメロディの繰り返しか、飽きないかな?」
と思っていたが、同じメロディだからこそ、
悲しみが倍増することを知った。

そして曲の終わり。まったく緊張はしなかった。
練習もしていないのに無事に最後まで歌いきれたこと、
しかもいつも以上に、という全ての状況を、
私は、主に感謝した。

主を賛美すること、単純に歌を歌うということが、
こんなに嬉しかったことはなかった。

テクニックを誇示する箇所はどこにもない曲だった。
私は、ただただ、心の全てを吐露しただけ。
それだけで、多くの人と同じ思いを共有することができる。
これが「歌」なんだな、と身をもって実感した。

牧師先生からも、お褒めの言葉をいただきました。
言葉も大丈夫でした。良く分かった、と言っていただけました。

なんだか真面目になってしまいましたね。
最後に親の一言。
「練習もしてないのに、あんた大胆やね。」

……Σd(゚∀゚) それが私のイイトコロ♪

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