晴れ渡る空が、朱色から徐々に徐々に紺色へと染め上げられる、そんな空を背景に、二人は歩いていました。 「え〜と…もう少ししたらライトアップされるらしいよ。」 「あァん?」  木枯らしが一層強く吹き付けます。芯まで冷えた指でパンフレットを広げて指します。  通路脇の側溝を挟んだ花壇には、この季節に花開くらしい可愛らしい花が沢山並んでいます。  そんな花に囲まれた通路を気怠げに歩いている方が、横目にパンフレットを眺めます。  薄い円錐形の、ワラで織り込まれた三度笠と、その下に着流す黒い和服とが印象的な男性で、名を緋穏と申されます。  十代半ばにしては、やや上背がありあせんが、バランスのとれた体型は理想的です。 「ッつゥか何観光客やってンだよ。」 「どのみち、こんな時間じゃ無理だよ。一般客も多いし。」  そう答えた方が、私の主人に当たるトレーナー、雪奈様。  跳ねた前髪と、後頭部で括った長い後ろ髪が印象的な男性です。  雪奈様は、その隣を歩く方とは対照的に厚手のコートと耳当てを着用しており、寒さの難を免れています。 「大体、キミが目立ちすぎ。ボクまで目立つよ。」 「そんな厚着してたらオレがいなくても目立つッつーの!」 「イヤ、キミが薄着過ぎるだけだよ…。」 「百人に聞いたら千人は厚着だっつーぞ、ソレ。」  そんな不毛な会話をしながら、二人は歩いていきます。  二人が何の話をなさっているかと言うと、話は昨日の今頃まで戻ります。  昨夜、ポケモンセンターでのこと。  緋穏様が毎晩の習慣にしているメールチェックを行いはじめた時のことでした。  インターネット上で獲得したメールアドレスに送られてくる電子メールでの“依頼”のやりとり。  緋穏様と雪奈様の二人は、今ホウエン地方を股に掛けて飛び回る“何でも屋”と言うものを開業されております。  時として迷子になったポケモンを捜したり、野生のポケモンを倒したり。  様々な依頼を請け負って、それをこなしていくのが二人の仕事というわけです。  そして、かつてその道で名を馳せた緋穏様を頼りにする方も多いのだとか。  昨晩もいつもと同じように依頼が舞い込んできました。 「…。」 「どうしたの?そんなディスプレイを食い入るように見て。」 「イヤ…ハッピーガーデンって何だ?」 「ハッピー…あ〜、確かアレだね、最近オープンした観光施設…みたいな奴。」 「ふゥん…」  緋穏様が生返事を返されます。その時にはもうその瞳はディスプレイの淡い白光を映していました。  雪奈様がその側まで近づいて、一緒にディスプレイを覗き込みます。  真っ白な文面には黒い文字で、こう表示されていました。 「  緋穏殿へ。  貴殿の活躍ぶりはかねがねより聞き及んでおります。  この度は、筆を執ったのは他でもありません。  つい先日開園に至った『ハッピーガーデン』には闇市で捌かれたポケモンが数多く囚われております。  貴殿には、そこへ潜入していただきそのポケモン達の救出願いたいのです。  後の障害になる問題は全てこちらが請け負います。  また、相応の報酬は用意させていただく予定です。  どうかよろしく、お願いたてまつる。 」  差出人は未明記、差し出し日時は昨日正午、依頼は――。 「闇市で捌かれたポケモンだって?」 「ン…そんな市場があることは聞いたことがあるが…そんなの何年も前の話だしな。五年前にロケット団が解散して事実上闇市も解体したと思ってたけど。」 「…まァ、お金持ちのやってることなんて、そんなモノかも知れないよ。…で、どうするの?」 「とりあえず、行くだけ行く。まず差出人が誰だか突き止めてやる!」 「行っても差出人がわかる保証はないよ?」  カチカチッと緋穏様がマウスを巧みに操って、パソコンの電源を落とします。  それを特に待つ様なことはせず雪奈様はパソコンの後ろに並ぶソファに腰掛けました。すぐにその正面に緋穏様が現れ、対のソファに横になります。  横になったまま緋穏様が三度笠を目深にして顔を覆います。 「オレに隠し事をしようなんてそんな腐った性根が気にいらねェ!たたき直してやる!」 「…ふぅ。確か、ここ建てるのに出資した会社ってかなり黒い噂が絶えないって言うしね。」 「ホントか?それだとむしろ、イタズラって考える方が自然か〜?っつか、今の溜息なんだよオイ!」 「何しろ依頼主の正体がわからないからね。迂闊に踏み込んで罠でしたって状況もなくもないよ。キミは何処彼処で敵を作るから…。」  呆れたと言った風に雪奈様が仰ります。  それを聞いて、緋穏様。 「そうだな…しばらく考えるからメシの時間になったら呼んでくれ。」  特に雪奈様のセリフを否定することもなく仰ります。  それっきり返事をしなくなりました。 「まァ…観光がてら行ってみるのも悪くないか。評判上々みたいだし。」  この“ハッピーガーデン”と呼ばれる施設は、“幽玄の揺らめきを誇る場所”と言うフレーズで宣伝されています。  街頭で流れるCMなどでもよく耳にし、その宣伝効果は今動員している観客数を見ても一目瞭然です。  この施設は中央に聳えるドームを囲むように放射状の道が外へ向かって走らせています。  クモの巣のように張り巡らされた道の間には、様々な売店が建ち並び、そうでないところには広葉の低木が緑を添えています。  しかし、何より人々の興味を引きつけるのは、歩道と花壇の間にある浅くフタのない側溝に立つ無数の縢り木です。  夕刻の今、ようやっと入場を許されるこの特異な施設ならではのセッティングです。  ワッと、突然歓声が沸きました。 「あ、はじまったのかな?」 「…別に火なんか珍しいモンでもないだろ?」  そう言って雪奈様が、振り返ります。  緋穏様も、気怠げながら、首だけ後ろに向けました。  ポウ――。  暗闇に、光が浮かびます。  一つ、二つ、三つ。  点っては移り、点っては移り。  こちらへと、橙の灯火が渡ってきます。  近づき、追いつき、追い抜いて。  ものの一分足らずで辺りは小さな灯りが一杯に散らばりました。  雪奈様達が歩いている通路に灯った明かりはひっそり咲く花を艶やかに照らし出します。  瞳に炎を映して雪奈様が仰ります。 「うわ…この火が燃え移ったらどうするんだろ?」 「お前の言動が、うわ、だよ。お前にはこの情緒がわかんねェンだろな。」 「…イヤ、百歩譲ってボクがわからないとしても、キミにそう言われるのは心外だったよ。」 「お前、オレのことなんだと思ってるんだよオイ!」  言いながら、緋穏様が手に持っているソフトクリームに噛みつきます。 「キミ…そんなモノ持ってたっけ?」 「もらったンだよ。」 「へェ?誰に?」  言いながら雪奈様が振り向きます。  その視線の先には、緋穏様が食べていると思われるソフトクリームを初めとする食品の売店があります。  そして、カウンターでは、「な、ソフトクリームが?」と言う声が上がっており。 「…。」  僅かな逡巡もなく。  ガン! 「イッテ!オイコ…」 「貰ったんじゃなくて盗ったんじゃないか!」  雪奈様が緋穏様の胸ぐらを掴みます。そしてそのままグラグラと揺らします。 「おいおい、そんなに揺らすと…」  グシャッ!  雪奈様の顔が真っ白になられて、頬からはとんがりが飛び出している状態になって。 「ほら見ろ。」  緋穏様が飄々とした風に雪奈様を窘めます。  緋穏様の表情はどことなく楽しそうです。どう見ても、故意でしょう…。  しかし、雪奈様の方はと言うと、心なし震えています。  そこで緋穏様は雪奈様の腕を軽くふりほどき、 「まぁ、そう言うわけだ。」  仰って、全速力で駆け出します。  それを追わずポケットからティッシュを取り出すと、まず顔についたソフトクリームをふき取り、手近なゴミ箱へと放り入れます。  その後、ソフトクリーム屋で困惑して内に割って入ると、ソフトクリームの代金をおいて、すぐさまとんぼ返りしました。  そして。 「どこ逃げたァ!!」  雪奈様も、韋駄天の如く疾駆されていきました。 「イヤ、マジで悪かったって。頼むから、頼むからユルギヤァァああ…。」 「こう言うところで食うメシって異様に高いんだよなァ…。」  心なしか傷だらけになった緋穏様が、爪楊枝をくわえながら呟きます。  ドーム内の空調設備によって管理されている花々が咲き揺れます。  園内中央に設置された半径2kmに渡る巨大なドーム。ドーム内部中央には一本の支柱が立っており、それに巻き付く形で螺旋階段が備えられています。  一階ではゆったりとした広い道が十字を作って、その脇に花が咲き誇っています。  篝火はドーム内通路にまで続いており、時折赤から青、青から黄、と言った風にその姿を変えては通行人の目を楽しませています。  室内にしては珍しい薄紅色とベージュ色を組んだ石畳には、多くの人が往来しています。 「…え〜と、ここ一階が商業地区、二階がインフォメーション、管理センター。三階が展望室…だってさ。」  雪奈様がパンフレットに目を落としながら、仰ります。  それを受けて、しばし緋穏様は中空に目を泳がせ黙考します。  その視線の先、十字路交差点には螺旋階段が居を構えています。 「ま、何とかなるだろ。作戦開始ィッ!」 「へ?」  緋穏様が、突然叫びます。思わず雪奈様が聞き返します。  しかし、それを無視して緋穏様はランニングシューズを起動させます。  そして、雪奈様をおいて一気に螺旋階段へと走ります。 「ちょ、何考えてるんだよ!?…あ〜もう!」  半ば自棄になったように雪奈様も後を追います。 「ドケドケ愚民共ォォオオ!!」  一足先に駆け始めた緋穏様。  元の能力の高さにシューズの機能が相まって風のように駆け抜けていきます。  人波を僅かなロスもなく縫うように進んでいきます。  そしてドームの全階に繋がる螺旋階段へと到着します。  交差点一体は吹き抜けとなっています。  まるで勢いを止めずそのまま直進します。  一息に跳躍。螺旋階段の手すりに足をかけ、何の逡巡もなく袖からボールを落とします。 「さ〜飛べろじっく!」  言って、ボールを放ります。同時に手すりを蹴ります。  宙に浮く緋穏様の身体が浮遊感に包まれ、そこから一気に加速します。  緋穏様の足下から、掬うようにその身体を持ち上げたのが緋穏様のピジョット「ろじっく」様。  ものの数秒のうちに、次の階へと飛び移ると、素早く両腕の袖にボールを落とします。  一方はろじっく様を納めていたボール。そしてもう一方は…。  緋穏様がろじっく様から二階の吹き抜けにある手すりへと飛び移ります。  片足が手すりに乗ったところで重心を大きく揺さぶり反転、吹き抜けへと向き直りました。  そして両手に握ったボールを互いの腕へ目掛けて交差させます。  その間にろじっく様がボールに収まり、もう一方のボールにもボールの展開が認められます。  そのままボールは吸い込まれるように緋穏様の袖の中へと消えていきます。  左右へと素早く視線を走らせます。ドーナツ状になった二階の配置をみると、案内掲示板に緋穏様の現在地と目的地のどちらもが記してあります。  それをサッと記憶して、手すりから一気に床へと飛び込み、さらにそのまま加速を見せます。  ガン!  緋穏様が“関係者以外立ち入り禁止”の標識が貼られた扉を蹴破ります。 「ここか!?」  叫ぶと同時に、右手を太刀を持っているかのように振るいます。  それにあわせるように――それはその太刀で峰打ちをしたかのように――手近な作業員三名が昏倒します。  先ほど展開したボールから飛び出したのはテッカニンの「まかろに」様。誰の視界にはいることもなく、羽音を立てることもなく素早く飛び回る緋穏様のお連れの方です。  緋穏様が、太刀を振るうように立ち回り、その“太刀”の刃をなすのがまかろに様なのです。  その場には大きなモニターがあって、その横では幾十という小型のモニターがドーム内、そしてドーム外園内の光景を映し出しています。  その中の一つに、緋穏様は、雪奈様と私の姿を認めます。  モニターの中で雪奈様が何かを言った素振りを見せると同時にモニターから私達の姿が霧散します。 「緋穏!!先走りすぎ!もっと後先考えてよ!!」  突然の来訪者に従業員達はさらなる驚きの色を隠し切れません。  そこで、雪奈様も辺りを見回します。珍しく雪奈様が舌打ちなされます。  従業員の数はザッと数えて二十人ほど。それぞれが一様にモンスターボールを構えています。 「ヘドが出る…か?」  低く、緋穏様が尋ねます。  雪奈様は何も答えずボールを構えます。  モニターの大画面に映ったモノ…それは…――。  カチ…ッ!  誰もが動かず、モニターから聞こえる雑音に似た喧噪の中、か細い金属音が響きました。――雪奈様がボールを展開させました。右腕に小柄なテッポウオが現れ即座に張り付きました。  酷く異質な金属音は、誰の耳にも止まります。  一斉に、時が走り出します。  ヒュッヒュ!  ボールが空気を切り裂く音が響き――何も起こりませんでした。 「捜し物は、これのことか?」  言って、緋穏様は三個のボールを見せつけます。それが、中からモンスターを呼び出すために放られたモノであることは間違いありません。全て、まかろに様が空中で掠め取ったのです。  緋穏様がニヤリと笑います。ただ、その造った双眸の下に潜む感情は、ごまかし切れません。  相手の戦意が一瞬にして引いていくのが見て取れます。  一方雪奈様は、放られたボールに無言で照準を合わせます。  カン!  甲高い音を鳴らしてボールが地に着きます。  氷付けにされたボールは何の反応も返しません。  他のボールも次々と地面に落ちますが、やはり反応は返りません。  しかし、一つだけ、その難を逃れたボールがありました。  そのボールの保持者は、それに気付くや否や叫びます。 「い」  ぐぁォォおおン…!!  中から飛び出したゴーリキーが破砕音を伴って吹き飛ばされました。  行け!の言葉を言い切る事さえ許しません。  誰もが、その光景に言葉を失います。  雪奈様が命じられたテッポウオの破壊光線。  何の感情も漂わせずゴーリキーを吹き飛ばし、そのついでとでも言いたげに機器の類には光線を浴びせかけます。  細い筋のような光線が大きなモニター――怯えるようにサーナイトとそれを囲むように配置されたキルリア、ラルトスが念じている様を映したモノを一刀両断します。 「オイ!!やりすぎはどっちだ!?」  緋穏様が半数ほどの従業員をのしていたところで雪奈様の異変に気付きます。  素早く雪奈様に駆け寄ると上段に構え、一気に振り下ろします。  ガン!と言う音とともに雪奈様がその場に伏しました。  そして、すぐにハッと起き上がると、 「緋穏!何するんだよ!?」 「あ〜クソ。」  額を抑えながら緋穏様が辺りを見るよう促します。  そこにはそこかしこから煙を上げた機器類が、電光を迸らせたり。 「て、テッポウオ!ミロカロス!冷凍ビーム!!」  急いで雪奈様が懐に手をやり、新たなボールを取り出します。  放ると同時に、腕のテッポウオが冷気を射出します。  さらに現れる濃い桃色をした龍もテッポウオに習います。 「あ、アブな〜…。」  無理矢理極限状態まで氷付けにすることで、状況を先延ばしにしました。  安堵の息をつきながら、ボールにミロカロスを収めます。  そして、昏倒の難を逃れた従業員達を振り返り、言います。 「ここで一番えらい人って、誰ですか?どこにいますか?」  言葉こそ丁寧ですが、険のあるその響きは、先ほどの姿と相まって簡単に吐かせることが出来ました。  聞くことを聞き、管制室を出ると、その状況は一変していました。  空調設備を止めた御陰かドーム内の空気がじわじわと冷たさを増しています。  そして、電力供給の止まったらしいドーム内には暗闇が落ちていました。  ただ、妖しくボウッと光る炎の薄明かりを除いては。 「うっわ〜…普通こういうのって予備電源とかあるもんなんじゃねェの?欠陥ダナこりゃ。」  と、緋穏様が軽口を叩きます。  無言で雪奈様は、螺旋階段を睨んでいます。  その下では、混乱に陥った人々の悲痛な悲鳴と喧噪が木霊しています。 「さて…それじゃあ、最上階の特等席に鎮座するここのボスに挨拶巡りと行きましょうかね!」  言って緋穏様は笠を目深に被り直しました。 「ちは〜っす。出前をお届けに参りました〜!」  惚けた声で言いながら、緋穏様が扉を蹴破ります。しかしその実、瞳は全く笑っていません。  扉の向かいに全面張りされたガラス窓には、ほのかな火の光が無数に浮かびます。  そのガラスに映る後ろ姿は恰幅の良い体に茶色いスーツを纏っています。年は四十代から五十代ほど。  白の混じり始めた口ひげを蓄えていて、頭は綺麗に剃られています。  デスクに大きく腰掛け葉巻をくわえながら、黒スーツに黒いサングラスを掛けている男性数人に指示を飛ばす様から想像されるモノは多くありません。  突然来訪者に一斉に視線が飛びます。  その視線の先にいたのは少年が二人。  咄嗟に作っていた険しい顔を崩すと初老の男性は、出来る限りトーンを上げて対応します。 「すみませんがここは関係者以外立ちい」 「ウルセーぞタコハゲ!!」  緋穏様が言い捨てます。  刹那、男性の表情が見る見る険を増し、 「つまみ出せ。」  地声と思われる声で低く唸ります。  その横に従っていた男性達が一斉に動き出すのを見ると、椅子をキィッと回して夜景へと視線を転じます。  ドッガ…ッ。  鈍い音が幾重響きます。  その音に、満足げに頷くとガラスが映すその姿へと視線を転じます。  そこに立っていた黒服の男。 「チョーシこいてンじゃねェぞハゲボーズ!!」  ガラスに映るその絵に思わずハゲボーズ様がガタリと立ち上がります。  床に伏しているのは招かれざる侵入者ではあらず。  黒い和服に目深に被った三度笠の姿。いつでも、動き出せるよう低く構えたその姿に――正確には笠から覗く殺意の瞳に戦慄を覚えます。  咄嗟に男性はデスクの引き出しを開け、中にあったボールを掴みました。  しかし。  首筋にヒヤリとした何かが突きつけられました。 「あなが取締役…と言うことでよろしいですね?」  雪奈様が尋ねます。  驚愕の表情を浮かべ、振り返ろうとしたところに強くテッポウオの口を突きつけられます。 「動かないで下さい。撃ちます。」  淡々とした表情で事務的に告げます。しかし、だからこそその言葉は限りなく真実味を帯びます。  クッと表情を歪めると、観念したという様に息を吐き出します。 「あの悪趣味な動物園はどこにおいてある?」  先ほど男性が発したよりさらに低い声で緋穏様が問答します。 「フン、そん」 「質問に答えてください。撃ちます。」  男性の額に浮かんだ冷や汗がツーッと頬を流れていきます。 “質問に答えることだけ。それがお前に許された唯一の権利だ”  無言の圧力は間違いなくそう男性に語りかけます。 「…このドームの地下にある第一管制室だ。」 「地下?」と、緋穏様。 「地下だ。第一・第二管制室ともに地下へ続く通路を開けるための制御装置があったが第二管制室がダメになった今あの道を開ける方法はない。」  緋穏様が数瞬中空に目を泳がせます。  再び正面に頭を垂れる男性を見据えました。  そのまましばしの重い沈黙。 「…ヤレ雪奈。」 「ねぇ…どうして…そうやって平気でポケモンを金のため、権力のため、自己顕示のため…どうしてそうやってポケモンを平気で利用できるんだよ!?」  ツンと心にのし掛かる言葉。  いつも、いつもいつも雪奈様はその答えに迷っていました。  自分がしたことへの後悔、している事への不安、するかも知れない事への恐怖。  そのどれもが、雪奈様の悩みと共にあります。  そしてコレは、きっと全てのポケモントレーナーに問われるべき問いなのでしょう。  そして、私達が、トレーナーと共にあるモノとして、訊かなければならない問いなのでしょう。 「貴様とて、同じだろう。」  男性は、嘲る様に言い放ちます。 「ボールという“権力”に託(かこつ)けて無理矢理生き物同士を闘わせるポケモントレーナーのするべき問いではないわ!」 「おんなじだって…言うのかよ…?」  震えた声で、俯いたまま絞り出す様に問いかけます。 「同じだ。人間はただ平和なところで指示を出せばよい。平和なところで傷つけさせ合い、自らの闘争本能を満たすトレーナーとやっていることなど変わるまい!」  単なる…負け惜しみ。苦し紛れの口から出任せを言ったのかも知れません。  しかし、スルリと雪奈様の手が垂れます。  その刹那。  どぐォオ!  ホンの一瞬にして全くの無距離から拳圧が炸裂しました。  短い悲鳴を漏らしたまま、雪奈様がガラスに背中から激突します。  防弾用の極厚ガラスだったため、辛くも三階からの落下は免れます。  そして、雪奈様に拳を叩き込んだ張本人…男のエビワラーがそんな雪奈様が虚ろに座り込む様を見下げます。 「オイ、そこのハゲデブ!」  その言葉に男性とエビワラーが動時に振り返ります。  そこに勝ち誇った様な笑みを浮かべた男が、 「残念だったな?すぐに楽にしてやるぞ。偽善者さん?」  下卑た薄笑いを浮かべたまま、男が緋穏様を指差します。  それに緋穏様はスッと体を縦にして構えます。 「来いよ。お前の言うポケモントレーナーを変えてやるよ。」 「ほう…面白い見せ物だ。行け!」  指示と同時にエビワラーが飛び出します。  カーペットを蹴って、腕で顔を覆ったまま緋穏様に肉薄します。  低い姿勢のまま左ジャブを続けざまに打ち込みます。  それを緋穏様は右腕でいなす様に弾きます。  しかし、不覚にもその攻撃を回避し切れませんでした。  緋穏様の防御から零れた左腕が緋穏様の右肩にめり込みます。  そこに右ストレート。顔面を狙った一撃は、真っ直ぐ飛翔します。  シュッ!  空気を切り裂き、拳が飛びます。  血が、僅かに飛沫ます。  ストレートも同時に止まり、時の流れが止まります。 「新幹線…ッテェのはこんなに遅いのか?」  驚異的な動体視力が、至近距離の拳を見切ってかわしてしまいます。  頬を掠めただけで裂いてしまうそれは、さながら鋭利な刃物です。  しかし、その拳を緋穏様が横から掴みます。  そのまま、エビワラーの腰に自分の腰を押し当て、腕を引きます。同時に腰でエビワラーを押し上げます。  エビワラーの身体が宙に浮き上がって、そのまま背中から地面に叩きつけられます。  背負い投げに似た投げ技を決めると間髪を入れず、上からのし掛かります。  そのまま腕と首を固めてしまいます。 「このままボキッと行くか?行っちゃうか〜?」  寝そべった様な体勢のまま緋穏様が男性に問いかけます。  犬歯を見せてニカッと笑うその様は、食事を前に餌をいたぶる肉食獣の様にも見えます。  が、すぐに緋穏様は叫びます。 「オイ雪奈!いつまでも不貞寝してネーでさっさとヤレ!!」  その声に雪奈様がガラスにもたれた背中をずらす様にして、立ち上がります。  立ち上がっている、と言うよりは寄りかかっていると言う方が的確になりますが。  その体勢のまま懐に手をやりボールを取り出します。 「全く…人使いもポケモン使いも荒いな…キミは。サーナイト、催眠術。」  私の名を呼び、雪奈様がボールを放り投げます。  すぐさま雪奈様の望み通り、エビワラーと男性に眠りへと誘い込みました。  男性が夢へと落ちるその寸前。 「オレらは、確かにポケモンを行使するだけの存在だ。だからこそ…パートナーの信頼を守るためにも苦しんでるポケモンは助け出さなくちゃならねーんだよ。」  ひどく痛む右肩を押さえながら、緋穏様が呟く様に言い捨てました。  そして二人はその部屋を後にします。 「フライゴン!地震!」  電源が落ち、それから特に復旧作業も始まることがなかったためか、先ほどまでの恐慌は嘘の様にそこから消えてなくなっていました。  ただひたすらに暗く静かな空間の中、ガン、ゴンと鉄を撲つ鈍い音が響きます。  雪奈様の手持ちの中で最も強靱な腕力を誇るフライゴンが勇猛果敢に腕を叩きつけていますが、螺旋階段の下に埋められた地下への扉はビクともしません。 「アイアンテール!」  ガゴン!  虚しく響きます。 「ていうか、不毛だよ。お前じゃ無理だよ。ここはオレの出番だな。あぁそうだ。」 「地球投げ!」 「は?何を投げる気うわ!バカ止せ、ギャア!」  やはり、何の効果もありません。 「困ったね…この下に早く行かないと…!」  闇の中、雪奈様の表情に焦り色が浮かびます。  フライゴンの方も大技の連続使用による疲労を隠し切れません。  ムクリと頭から叩きつけられた緋穏様が起き上がると呟きます。 「鉄は暖めるとでっかくなるらしいぞ…。」 「ハァ…?頭ぶつけてとうとう壊れちゃったか…?」 「あぁ…そうらしい。…。…。…。お前がぶつけさせたんだ」 「あ、そうか、暖めればいいのか!?」  緋穏様の抗議を遮り、雪奈様が閃いた様に口走ります。  そんな雪奈様に憮然としたまま緋穏様が先を促します。 「うん。線路とかって夏に変形したりして冬に大きさが足りなくなるって言うじゃない?コレを利用したら扉の大きさも変えられると思うんだ。」 「バカ。扉の大きさが変わるったって、そんなオレ達が入れるほど変わる訳じゃネーぞ」  袖と袖を合わせる様な形で腕組みをした緋穏様が言います。 「イヤ…何ででかくなるって融解するンだよな…?イヤ、そうじゃなくても、軟らかくはなる…よな?」  緋穏様が自問自答をしてブツブツ呟きます。  こうなった時の緋穏様は妙案閃くまでテコでも動きません。 「イヤ…ろじっくなら焼き切れるか…?」 「サーナイトの念力で後押しすればいけるかも。」 「…。…。…。ダメだ。力で押し切るか。」  言いながら緋穏様は腕組みを解き、ボールを構えます。ボールが展開、ろじっく様がその優美な翼をあらわにします。  一方私は後ろで待機していたところ雪奈様に名前を呼ばれます。 「一発勝負だぞ。コレで失敗したら…わかってるな?」 「あぁ。」  そう問う緋穏様も、答える雪奈様も心なしか先ほどより余裕がある体を見せます。  それは恐らく、緋穏様の答えが、雪奈様の心を和らげたから…でしょう。  絶対に、うまく行くと雪奈様は信じています。  ならば、私はその期待に応えなければなりません。 「…ヤレ、爆炎舞!」  緋穏様が呟いた瞬間、風が、生まれます。  ろじっく様がはためくにつれ、風は強風へと変わり、強風な突風へと転じ、突風は竜巻を生み出します。  ゴウッという轟音と共にそこにあるモノを構わず全て吸い上げます。  花も、草も、塵芥も。重さ、大きさ関係無しにろじっく様を中央に据え螺旋を描いて乱舞します。  バサァ!  一段とろじっく様がその羽を広げます。  同時に美しい羽根が舞い散り螺旋の中へと引き込まれていきます。  さらに次の刹那。  ゴッ!  砂のない砂嵐が突如発火します。  火炎竜巻と呼称するが相応しい嵐が辺り一帯に吹き荒れます。チャンスは一度だけたる所以はこの荒技によるダメージにろじっく様自身が耐えきれない、ということです。  羽根の焦げる臭いが鼻腔を突きます。  突如、炎の龍の中央からぐにゃりと変化が起こります。 「修羅の舞い。」  鎌鼬を作る事による気圧の変化。気圧の高低差による空気の流れが一瞬にして炎の竜巻を引き込みはじめます。  鎌鼬に炎の嵐を巻き込みました。  瞬間的に視界を埋め尽くした炎の辺りは凝縮され、ろじっく様に切り取られた僅かな空間の中だけを縦横無尽に走り回っています。  炎が晴れ、しかし視界一杯に光が走ります。ろじっく様が身体全体を強く輝かせたのです。  光の中で、ろじっく様はスッと鎌鼬から体を引きます。そして、すぐに動き出すベクトルを百八十度転換。  炎の中に、光る、神の鳥が舞い降ります。  炎を纏った火の鳥は、螺旋階段の下、隠された扉へと一直線に跳び、衝突します。  ろじっく様を中心にぐにゃりと視界が揺れます。ろじっく様の生む極度の高温が蜃気楼を生み出します。  辺り一帯を焦がし散らしながら、厚い鋼鉄の扉を赤熱させます。  ここからが、私の出番です。  赤熱した地面に取り付けられた扉を重力に従って押し込みます。  かなりの厚さを持つ扉の表面を溶かすだけでは、まるで歯が立たないのかも知れません。  ろじっく様のクチバシが扉へとめり込んでいきます。  それでも、侵入を拒み続ける小さな扉。そして、限りなく意味を持った巨大な扉。 「頼む!サーナイト!!」  雪奈様の声が、耳に届きます。そして何よりも私が守るべき、その心が。  渾身の、力を。  ガン!  筒を撲った様な、大音響が辺りに木霊します。  扉の中央部が綺麗な真円を描いて貫通しました。 「やった!」 「オラ、さっさと行くぞ!」  歓声を上げる雪奈様を置いて緋穏様が扉に飛び込みます。  それに倣って雪奈様も扉をくぐり、地下通路に続く階段へ足をつけます。  そこには扉をうち破り、一足先に地下へ来ていたろじっく様の姿もあります。  炎を纏うという荒技の反動で横たわったまま動けそうにありません。  それでも表情は“私にすれば、こんな事は造作もないことだね”と歯を光らせて言っているようですが…。 「ウッシ、ゴクローさん。ちゃっちゃと終わらせて回復にいかねェとな。」  緋穏様が、ボールに戻しながら、ろじっく様を労います。  軽い言葉のようですが、表情には得も言われぬ複雑な色が浮かんでいました  雪奈様が降り立った地下通路。薄暗い照明がなんとか闇を押しのけているといった程度で、通路の先は闇に閉ざされています。  照明の配置から一本道であるようです。  無言のまま、二人はお互いの表情を確認する様に、頷き合って――。  走り出しました。  暗い闇を弱々しく押しのける光だけを頼りに駆けます。  遠近感が挫け、永久回廊さながらの中にいる、そう錯覚させられます。  弱い光に誘われ、幾つか角を曲がります。そしてまた一つ、角を曲がります。  その通路をしばらく進んだある地点を境に、光は失せていました。  二人は迷わずその境目まで駆けていきます。  闇に慣れた目が、そこに薄く照らされた観音開きの扉が固く閉ざされいました。  緋穏様がいち早くそれを認め、さらに速度を上げます。  その速度をまるで落とさず飛び上がり――一息に扉を蹴破ります。  そこには、通路に敷かれている薄い照明ではなく、光が充ち満ちていました。ただ、銀光を返してくる無機質な作りそのものは地下通路とかわりません。  円形を描くその空間中央には一匹のサーナイト。  それを囲む様に四匹のキルリアが配置され、さらにその外側に円を描く様に十六のラルトスが位置しています。  その全てが一様に濃い疲労の色を浮かべています。  サーナイト達が念力を使う上で、浮遊する椅子に足を組んで腰掛ける男性が一人。  黒いスーツを身に纏い、ポマードで固めた黒髪は光を反射させています。年の程は四十代ほどでしょう。しかし、それよりはずっと若く見えます。  うっすらと笑みを浮かべた男が口を開きます。 「やぁ、待ちかねたよ。」 「アン?誰だテメェ!」 「誰でも良い。そのサーナイト達を離せ。」  雪奈様の声音は低く、その隣で問い掛けていた緋穏様も咄嗟に呆気を取られていたようです。 「あぁ、君達が力ずくで出来るンなら、私は何もしないよ。」 「何もしないのに力ずくだァ?ネボけたこと…。」  言いながら、緋穏様が一匹のラルトスの元へと歩み寄ります。  ヂィッ!  電光が、迸ります。 「…なるほど。力ずくね…。」  苦い顔をしながら雪奈様も納得がいったようです。  緋穏様は衝撃と同時に体を引いて、バックステップを踏み防護壁との距離を取ります。  体を引きながら袖からボールを落とすと、叫びます。 「居合い切り!」  体の重心位置を変え、再び前方へと飛び出します。  ボールから出てきたのはテッカニン、その速さを目で捉えることは叶いません。  一閃。  再び、衝撃音が辺りに響きます。 「その程度では、攻撃とは言わないよ。」  黒スーツの男が勝ち誇った様な瞳で見下します。  それには答えず、緋穏様が袖を揺すります。  袖から落ちてきたボールは三つ、全て地面に落とします。 「ふらっと、あすなろ、てきすと。爆裂パンチ!リーフブレード!破壊光線!」  腕を一回転させ、緋穏様は強固な見えない壁を指差します。  ボールから現れたのは順にチャーレム、ジュカイン、ギャラドス。  三者三様の攻撃が、ほぼ同時に防護壁へと被弾します。  しかし。  電光と、強い光を迸らせ、再び何事もなかったかの様に静寂が響きます。 「みんな、ボクらも行くよ!」  雪奈様がボールを構えます。  放った先に現れたフライゴンとミロカロス。  フライゴンのアイアンテール、ミロカロスのハイドロポンプが命令されます。 「サーナイト、サイコキネシス。テッポウオ、オクタン砲!」  強靱な尾が壁に叩きつけられ、大水量が発射されます。  しかし、やはり見えない壁はビクともしません。 「そうだな。一つ賭け事に興じてみようか。」  黒スーツの男性が言って、指を弾きます。  すると突然、天井が二つに割れ、何かがゆっくりと降りてきます。  雪奈様も緋穏様も呆気に取られたままそれを見ていましたが、ポツリと雪奈様が呟きます。 「…檻?」 「そう、察しが良いね。それを、こうする。」  男性がサッと手を振ります。それに合わせて、突如炎が生じます。  生き物の様に空間をぐるりと飛び回ると、檻の周囲を囲む様に輪っかを作ります。  その間にも黒い格子で囲まれた檻はゆっくりと降下してきます。 「まだ見えないかい?」  その言葉の意味に、すぐさま緋穏様が気付きます。 「…人質ってわけね。この外道が。」 「人!?」  雪奈様もその意味に気付きます。  ギリッと歯を噛みしめ檻を睨みます。  中に入っているのは年の程、十五、六ほどの少女です。今は気を失っているらしく檻の底で横たわっています。 「このまま、炎の輪っかは縮まっていくよ。地上でも見ただろう? この子達の炎のコントロールは完璧だよ。どうだい? この幽玄の」 「ウルサイ!」  雪奈様が叫ぶと同時に懐に手をやります。緋穏様が袖を揺すります。  二人が取り出したのは短い、小さな棒でした。  円柱形をした高さ十五cm程の軽い棒です。その表面は幾何的な文様でビッシリと埋め尽くされています。  その棒を幾つも取り出して、指の間に挟むように立てました。 「行け!お前ら、ブチ破れ!!」  緋穏様が叫ぶと同時に、二人の指の間に挟んだ円柱が光を帯びます。  その光が、私たちに呼応します。  能力アップの鍵。雪奈様達が札と呼ぶ物です。  円柱が纏う淡い光が、私達の力となります。  雪奈様達が立てているのは攻撃力を上げるための札。  威力の上がった攻撃で、私達が怒濤の攻撃を仕掛けます。  しかし、それでも…。 「クッ…破れない…ッ!」  しかし、その間にも炎の輪は、ジリジリと少女に迫っていきます。 「よし、起こしてやるとしよう。」  再び、黒スーツの男性が指を弾きます。  それと同時に少女の身体が起き上がりました。  うなだれていた体をゆっくりと起こします。しかし、少女はすぐに異変に気付き、叫びます。 「イヤッ! 何コレ!?」 「フフフ…救世主様が君を救えるかどうかの楽しい楽しいギャンブルだよ。」 「ウルセェッ!!なにが楽しいだ!?」 「そんな話を悠長にする暇はないんじゃないのかな?」  ユラユラと揺らめく炎が盛ります。 「キャァ!!」  もう、時間はありません。 「くっそ!!しろっぷ、一撃でぶち壊すぞ!!」  最後の切り札が、地に降ります。  しろっぷという名のブラッキーの眼光が鋭く光りました。  同時に緋穏様が一本の札を強く握りしめ、念じます。  攻撃力を極限まで高めた私達のうち“最強”のポケモンがその中で最も威力の高いワザを放ちます。 「居合い!!」  バヂィッ!!  また、弾かれる音。  しろっぷ様の刃が不可視の力に押し止められ、動きを奪われます。 「イヤ…来ないで!!」  炎の勢いは止まりません。 「クソ…どうにも出来ないのか…? また…ボクは…!!」 「ウルサイ! まだだ!!」  ビシ…ッ。  はじめて、返る音が変わりました。  それは、亀裂の走る音、つまり、今目の前にある壁が破れ落ちる音。 「しろっぷ!お前の勝ちだ!!いっけェ!!」 「フフ…面白い見せ物だったね。やれ。」  次の瞬間、希望に傾く私達全ての期待は崩れ去りました。  円弧を描いて宙を回る炎が燃えさかりました。  その炎が成すすべなく護るべき者へと襲いかかります。  誰かが叫びました。  誰かが失意の底へと堕ちていきます。  何かが込み上げてきます。  焼け焦げた特異臭が鼻腔に焼き付きます。  誰かが激怒します。  誰かが笑います。  何かが狂います。  いろんな感情が、止め処なくそこにはあります。  一つ、感情が消えました。  それを受けて、もう一つ、いろんな色を混ぜた感情が消え失せて、黒一色へと染まります。  誰かが笑います。  何かが驚愕します。  誰かが笑います。  私が護るべき物は何だったのでしょうか。  人形が…笑います。 「ハハ…ハハハ…。」  久方ぶりの我が力戻りたり。  我が眷属を光で捏ねた小細工へと放つ。  僅か、それだけのことで光の粒へと砕け散る。  驚愕に恐れおののく男の姿が霧散せり。 「ハはハはハはハハ!!」  三度笠など被った小僧が目を剥いて、こちらを見る。  所詮は小娘。力無く倒れよったわ。  やはり、外の空気は気持ちが良い。  恨み、嫉み、怒り、悲しみ…いくら吸っても吸いたりぬ。  そして何より、この雪奈の身体に渦巻く感情はいくら食っても喰い飽きぬ。  この身体はやはり吾のモノであるべきなり。 「ヒャハハ…ヒャーッハッハッハ!!」 「オイ!雪奈!!」 「喧しいぞ童。」  雪奈の身体を動かす。右腕を緋穏に向かって翳す。 「雪」 「去ネ。」  撃つ。  ゴウゥゥン!  轟音と、土煙が舞う。シャドーボールと人は呼びき。  さらに撃つ。  黒き影が緋穏へと集う。 「チィッ!しろっぷ!ぶち壊せ!」  影に筋が走り、霧散せり。 「…ヤバい…今の当たってたらホントに…。」 「当然であろ。吾は貴様に死ねと命じた。死ぬるは定めよ。」  もう一撃。  手元で影を脹らませ、放つ。  ガォォォン…!  勝てずと判断を下したか、緋穏とブラッキーが左右へと散る。  あなおかし。 「死ね死ね死ねェ!」  両手を構え、影を撃つ。  これもまた一興なり。 「ヒャハハははハハハ!!ゴミ屑どもがァ!」  死ね死ね死んでしまえ。  世を恨み、朽ちていけ。其が我が力となる。  無力なる愚か者共よ、露となりて果てるが良い。 「ウッルッセェェェエエエ!!喧しいのはテメェだァ!!」  緋穏が眼前へと飛び出す。そのまま拳を雪奈へと打ち込む。 「それ以上、雪奈の声でゴチャゴチャ抜かすんじゃねェ…!」  唸る様に言う。 「ハハハ、それが貴様の友情か!?あな麗しき!麗しき戯れ言かな。ヒャハハハ!」  雪奈を撲てども其は我が痛みにあらず。  吾は雪奈でありき。雪奈は吾でなかりき。  雪奈の身体で同じ事をしてやろう。 「ッがァ!…クソ…雪奈の…イヤ人間の腕じゃそんなパンチ出せねぇぞコラ!?」 「貴様が弱すぎるだけよのう!止まってみえるわ!」  吾の背後より迫る黒い動物を押さえ付ける。  浅はかなり。  このまま顔を握りつぶしてくれるも一興か。 「ウヌらの弱さを嘆くが良い。死の淵でな!」 「アン?誰が…弱いって!?」  振り返れば、緋穏が千鳥足のまま立ち上がっている。その両手に握るは五寸ほどの棒。  幾数モノのそれのうち、一つをくわえ、残りを指の間に挟み立たせり。  刹那、我が手の握るブラッキーが活力を得、我が拘束を振り解きけり。 「オイコラ雪奈!いつまでも寝惚けてんじゃねェ!そんなゴミ屑にそんなゴミ屑に良い様にされてんなァ!!」  瞳の紅く染まりし男。哀れな男だ。この雪奈と共にいたばかりに憂き目を見るのだから。 「ゴミ屑?ゴミ屑だって?この吾が?ゴミ屑?調子に乗るなゴミ屑がァ!!」  影を撃つ。骨も残さず消してくれる。 「オイコラ。さっきオレらのこと、止まって見えるって言ったよな?」  耳の側にて聞こえたり。 「オレにゃあテメェが動いてる様には見えねぇよ。」  をこなり。  この僅かな間に吾が背を取られるなど。 「ありゃあニセモノだ。屑野郎。」 「吾に触れる等死する覚悟はあるのだな?去ね!」 「ついでにそれもな。」  再び、我が背を取られたり。  胸元を緋穏が掴む。 「目・ェ・覚・ま・せ!!こんの大バカ野郎!!帰ってこい!」  やはり、愚かなるは人の定めなり。  この身体は我が眷属。我が魂の元にある。  右腕を以て我が眼前にて世迷い言を言う男の首を締め上げる。 「う…ァ。」  それを待ちかねるように背後にて動く気配。  やはり、遅きこと甚だし。  左腕を以て黒き獣の首を握り上げる。  今ここでくびり殺してくれようぞ。  こやつらは…危うきこと甚だし。  意識の底へと堕ちていた。  耳を塞いでいるように、目を瞑っているように、今ここで起きている現実が遠くのことのようだった。  本当に小さな小さな人形であるジュペッタに、意識を飲まれていると、それだけがわかっていた。  ただ、それは胃がねじ切れるような不快感と共に、純粋な失意に埋もれる抱擁があったような気がする。  今起こっていることは見えている。  今起こっていることは聞こえてる。  でも、出たくない…。  そう、思った。  目の前に誰がいるか、思い出すまでは。  目の前の言葉が何なのか、耳を傾けるまでは。  何か、大切なこと、忘れているような。  バン!  仰々しい音を立てて、奥の扉が開いた。今の今までそこが扉だったことにも気が付かなかった。  そして、そこから出てきたのは――。 「ハッロ〜!!元気してるゥ?」  …何で?  チェックのスカートに黒のカーディガン、上着に白いコートを着ている少女がそこにはいた。  …さっき…炎に焼かれて…?  ボクが呆気に取られている間に、緋穏としろっぷがボクの腕を振り解く。  そして、驚きながらも緋穏としろっぷが少女に近寄る。ボクと距離を取るという意味もかねてだろう。 「オイ!お前何で生きてるんだ!?」  んなぶしつけな…。とは言え、ボクも気になるけど。 「何よ!?生きてちゃ悪いの!?」 「そう言う問題じゃないだろ。ここはワルモノに命を奪われた可憐な美少女のタメに立ち上がる男達の熱き血潮の物語が」 「可憐な美少女って言うのは嬉しいけど、後半はよくわかんないわよ」  イヤイヤ、全部おかしいって…。 「とにかくだ!お前が生きてると今オレがメッチャ苦戦しながら親友を救い出すっつー活劇が出来なくなる。わかるな?わかっただろ!?じゃあやり直せ!」 「はァ!?ホント訳わかんないから…。」 「イヤ、雪奈がああなったのはお前のせいなんだぞ?せめてケジメぐらい…」  言いながら、ボクの方を指差す。でも、顔の方は相変わらず少女の方を向いていて、完全にボクのことが目に入っていないらしい。 「ここだけの話な。」  声を潜めながら、顔を近づけ緋穏が少女に話しかける。 「実は雪奈がこの話のラスボスでな。今からオレとしろっぷでそれをやっつけて英雄として」 「ちょ…後ろ後ろ…」 「後の世に広〜く語り継がれるって言う冒険嘆に…ン?」 「なるかァァアア!!」  ちょうど緋穏が振り向いた瞬間、テッポウオの頭突きが炸裂した。  あぁ…なんだか、どうもボクの独りよがりみたいだった。  どうも、ジュペッタも拍子抜けしたらしい。  気付けば身体はボクの自由になっていた。 「それでさ、さっきのおじさんは…?」  緋穏は倒れたまま起きてこない。 「イヤ〜、ゴメンゴメン。ちょ〜しにのりすぎたかな〜?イヤ、でもおじさんて年では…イヤ、何でもない。」  言いながら、少女の出てきたドアから、先ほどの黒いスーツを着た人が出てくる。  気の抜けたような緩んだ瞳はもう、まるで別人だ。  おじさんは明朗にしゃべり出す。 「君達が緋穏君と雪奈君だね。実は私が君達にここに来てくれるよう頼んだんだよ。」 「え?な」 「何だとォォオオ!?」  ガバリと緋穏が飛び起きる。 「コラ貴様!どういう了見だ!?事と次第に寄っちゃあタダじゃおかねェぞ!?」 「うん、実は」 「マジでぶっ殺してやる!」 「え?まだ何も」  敢えて、その後何が起こったかは深く言及しない。  ボクも今一止める気がしなかったからそのまま放っておいた。  ただ、見ない方が良いし、聞かない方が良いことが起こったのは確かだ。  なんだか久しぶりに吸うような外の空気。  ボクらは地下を後にして、星の並ぶ空の下を歩いていた。  辺りには、煙一つ立っていない。正直言えば、もう炎は見たくもない。  額に米マークを掲げたおじさんは気を取り直して、話を切りだした。 「君達に渡した情報は本物なんだ。ただ、私も仕事でね。今回は事が大きいし、二人では大変そうだったからね。陽動が必要だったんだ。そこで腕利きと呼ばれる君達を呼んだのさ。」 「呼んだのさ、じゃねェ!!」 「首尾は上々この通り。」  そう言って、二十個のボールを一つずつ取り出す。  幾つか取り上げて見せて貰うと、どうやら先ほどのキルリアやラルトス達のボールで間違いないみたいだ。 「二人って事はお二人で何かされているので?」 「あら、貴方達と同じ事をやっているんだけど?」 「へェ。同業者だって、緋穏。」 「んなこと知るか!」  まぁ、とは言え緋穏が怒りたくなる気持ちもわからないでもないけども。  さっきのはサーナイト達に見せられた幻覚だったそうで、幻覚の中ボクたちは立ち回っていたらしい。  最も、娯楽施設を一個破壊してしまったのは変わらぬ事実だったみたいだけど。 「そうカリカリ怒ってばかりだとモテないわよ!?」 「マジうるせェ!!」 「まぁまぁ、特別報酬と言うことで、後で一杯奢るからさ。」 「う…。しゃーねェなァ。まぁ、話だけなら聞いてやる。感謝しろ。」 「緋穏。」 「ンだよ?」 「殴っても良いかい?」 「…。」 「…。」 「…。」 「やっぱ止めとく。」 「当たり前だ。」 「代わりに撃つ。」  何があったのかは敢えて言及しない。  本当に飲みに行きやがった緋穏だけど、十分もしないうちに帰ることとなった。  緋穏は酒が弱い。コップ一杯飲んだら翌日は二日酔いになれるそうだ。  ともかくこうした御陰でボクらはすぐに二人と別れることになった。  また会うこともあるだろうけどその時はよろしく、と言う意味深なセリフを言い残して…。  そしてコレはその翌日のお話。 「うぁ…頭イテ…。」 「よくそれでお酒好きだなんて公言できるね。未成年だし。未成年だし。未成年だし。」 「マジでお前声高い…頭痛い…」 「自業自得だろ?」 「あ〜もう、お前もわかってるンなら止めろよ。つかコレお前のせいだ。」 「…。そう言えばさ」 「ん?」 「昨日、緋穏らしくなかったよね?最後」 「最後?」 「うん、あの子が扉から出てきた時。いつもの緋穏ならあの状態こそ隙なく構えてるでしょ」 「あ〜しらねェよ…そんなこと」 「あそこで、もしもボクがジュペッタに飲み込まれたままだったら…そうしたらキミは。」 「…。」 「…。」 「…おかえり。」 「え?」 「あ〜もう、言う側も結構ハズかしーんだ、何度も言わせるな。お前は帰ってきた。それで十分だろ?」 「全く…キミってヤツは物怖じしないんだから。」  ――た だ い ま