ふらりと少年が立ち寄った雑貨店。事の始まりはここからだった。  少年は『懐かしの玩具コーナー』と書かれた案内の付いた棚に真っ直ぐ進む。  目的のモノを見つけると、表情が緩んだ。  早速それを手に取りカウンターへ。  そこで腰掛けていた、老年の優しそうな女性がギョッとした表情を浮かべたが、それをすぐに掻き消すと、少年に声を掛けた。 「いらっしゃい。」 「え…と。あ、はい。」  少年はなんだかよく判らないまま咄嗟にお辞儀を返した。返して、改めて何か失敗したような気が起こったが、とりあえず、お金を払うことにした。  ジャラッとカウンターに積まれたのは、かなりの数の知恵の輪だった。  複雑に組み合わさったそれを、鮮やかに解くのが、少年の至高の楽しみだった。  少年の出したお金を勘定しながらおばあさんが訊く。 「珍しいね。こういうオモチャに興味がある子だなんて。」 「…よく言われます。」  少年は困ったような笑顔で答える。  すると、少年が背負っていたリュックサックからニュッと顔が突き出される。  顔を突き出したのはニドラン。オスとメスで特徴の異なるポケモンでこのニドランはメスだった。  キィ、とニドランが鳴いた。  少年が、それにひどくばつの悪そうな顔をする。おばあさんはそれに、やや怪訝な表情をしたが、深く追求はせずお釣りを差し出した。  紙袋に大量の知恵の輪が詰められ、それが渡される。  少年がお礼を言って、その場を立ち去ろうとした時だった。 「あぁ、ちょっと待ってくださいな。もし良かったら…これをお受け取りください。」  そう言っておばあさんは引き出しから一枚の封筒を取り出した。 「何です、これ?」  確認しながら、受け取った。おばあさんはそれには答えず、僅かに微笑むだけである。  訝りながら、少年が封を切ろうとすると、 「中身は、また後で確認してください。」  その言葉を訊いて、一思案。とりあえず、その言葉に従うことにした。  そうして少年は、雑貨店を後にした。 「ねェねェ、早く開けてよ!」 「あぁ…うん。…先に一個だけで良いからこれやっちゃダメ?」  そう言って少年は、ジャラリと紙袋をならした。  石畳の敷かれた大通りを歩きながら、一見独り言を、少年は喋っている。  一際強い風が大通りを吹き抜ける。 「絶対ダメ。ケイって一度始めたら全部終わるまで止めないもの。」  即答された。苦々しい表情を少し浮かべ、すぐに表情を戻す。  知恵の輪ほどではないが、興味をそそられる対象であったことは確かだ。早速、封を切る。  その中には、一枚の紙切れが入っていた。 「何も…書いてない。」 「そうだね。」 「他には何も入ってないの?」 「うん。」  言って、ケイと呼ばれた少年は、封筒を上下に振って見せた。  それが、不注意だった。  ちょうどその時、ケイは曲がり角に差し掛かっていた。何の注意もなく曲がり角に足を一歩踏み出して。 「きゃッ!」「痛ッ!」  人身事故を、起こしてしまったのである。  咄嗟に、その時手に持っていた紙を落としてしまう。しかし、誰もそのことには気がつかない。  もう一方の、被害者であり加害者である少女が持っていた紙束をぶちまけてしまっていた。  ケイと同じ十三歳くらいの少女は慌ててその紙束の回収にかかる。 「えと、ごめん。」  謝りながら、ケイも少女を手伝う。  十数枚程度の紙切れは、落ちた拍子に不規則な軌道を描いて飛んでいく。突風でも起これば、回収は困難だろう。なにしろ、冬の北風はとても気まぐれだ。  もしものことを考えれば手が足りない、ケイはそう考えるが早いか、背中に向かって声を飛ばした。 「クラリス、手伝って。」 「全く、気をつけてよね、只でさえポーッとしてるんだから!」  言って、『クラリスと呼ばれたニドラン♀』はリュックから飛び出した。  クラリスは素早く移動し、器用に空飛ぶ紙をくわえて集める。  特に難もなく、すぐに全ての紙が集まった。  一、二ィ、……、と集められた紙の枚数を確認していく。それが終わると、少女は改まった風にお礼をした。 「どうも、手伝っていただいてありがとうございました。」 「イヤ、ごめん、不注意だったね。大丈夫だった?」 「はい、大丈夫です、こちらこそすみませんでした。あ、早く行かなきゃ。ホントに済みませんでした!」  慇懃に頭を下げ、少女はすぐに振り返って歩いていった。  その背中を見送るケイの足下でクラリスが言う。 「もう少し上手くやれば、お近づきになれたかも知れないのに…。」 「ほえ?」 「あぁ、もう…全く解ってないって顔ね。」  あきれ果てたというように、クラリスは溜息をつく。そして、気付く。 「そう言えば…さっきの封筒の紙は?」 「え…あれ?」  忘れていた。ケイは、ポケットに手を突っ込んでみたりするが、見つからない。 「…向こうの方に一枚落ちている。」 「あ、ホントだ。」「…どこ?」  ケイがその声を聞いて振り返る。そしてその紙を見つけたその刹那――突風が大通りに吹き荒れた。 「ほら早く!飛んでっちゃう!」  大通りを紙が舞う。  その後を追って、颯爽とケイが駆けていく。寒々とした空気の中、さほど人影多くないが、いないわけでもない。その間を縫って、するりと器用に抜けていく。  それをリュックサックに収まって、クラリスが叱咤する。 「あぁ、ほら、見えなくなっちゃう!」  クラリスが悲鳴のような声を上げる。その間に、紙の方はと言うと、ヒラヒラと舞って、誘い込まれるように路地裏に飛び込んでいく。  慌ててケイ達も暗雲とした路地へと駆け込むが、 「あれ?」 既に目標を見失ってしまっていた。ケイは二、三歩進み、立ち止まる。 「真っ直ぐ先だ。」 「え、あ、うん。」  戸惑ったように、視線を後ろに送り、しかし再び走り出す。  そのまま真っ直ぐ通路を走り抜けた。パッと光が満ちる。  そして、視線の先、一人の少年が一枚の紙を拾い上げていた。 「ほら!」 「う、うん。すみませ〜ん。」  クラリスに急かされて、ケイは手を振って少年に呼びかけた。  その少年は、少し疲れたような顔をしていたように見えた。単に軽く伸びた髪がザンバラに斬ってあり、ゴムひもで縛られていたために、そう言った印象を受けたのだろうと、ケイは勝手に解釈した。 「すみません、どうもありがとうございました。」  激しい運動を経て、やや上気したケイの顔を、少年はマジマジと見つめて、呟くように、言った。 「キミも…スピアーの巣を捜しているの?」 「え?」 「前に、女の子がスピアーの巣を捜しているって言ってて、こんな感じの紙に地図を書き付けてたような気がしたから…。」  そう言って、少年は拾った紙を見せつけた。ケイのもらった紙に、こんな地図は当然書いていなかった。つまり、間違えて拾っていったと言うことで間違いないらしい。 「ちょっと、当たりじゃない?」  クラリスが嬉しそうにケイの耳元で囁く。しかし、ケイは怪訝そうに聞き返す。 「スピアー…こんな時期に?」 「…違った?でも、最近多いんだよね。」 「そうなんですか…。」 「向こうの道を真っ直ぐ行って、森に入ってしばらく行ったところの脇に小道がある。そこを進んでいったところに見つけたよ…。」 「当然、行くッきゃないでしょう。」  クラリスが嬉々として言った。 「え〜と、ありがとうございます。」  そう言って、頭を下げるとケイは地図を受け取った。そして、言われたとおりの道筋を書けだした。  少し走り、周りに誰もいなくなってから、ようやっとケイは答えた。 「結構大変なんだけどね。」  さきほどの少年の言っていたと思われる小道に入ってすぐの所。 「何か来る。スピアーと…人間だ。」  声を伴って、リュックから二つ目の顔が表れた。 「…他には?」  ケイが問う。それにすかさず、その二つ目の顔―ニドラン♂は答えた。 「まだ、距離はあるが、人間の足音より、スピアーの羽音の方が速い。直追いつかれる。スピアーの数は…十はくだらないな。」  常緑樹と広葉樹の入り交じった雑木林を随分と進んだところで、一人と一匹は言葉を交わしていた。 「さっきの女の子?」 「多分。飽くまで呼気の音でしか判断出来ないから正確なところは解らない。」  言って、ニドラン♂はピクピクと耳を、はためかせる。彼の発達した耳は、届く情報を漏らすことなく聞き分ける。 「ジョー、クラリス。準備は良いかい?」 「オッケイ。」「あぁ。」  確認し合い、ケイは駆けだした。    少女はひたすら森を駆ける。  景色が流れていくのに対し、耳に流れ込む不快な連続音は鳴りやまない。  幾匹モノスピアーが縄張りを侵した侵入者に対して、容赦ない追跡を仕掛けていた。  遂に今、一匹のスピアーが行動に移った。針のような右腕を振り上げる。 「クラリス!!ダブルニードル!」  その刹那、声と、一つの影が少女とスピアーの間に割って入った。  スピアーの振り上げた針を、その影は自らの角で二段突きに突き飛ばす。  スピアーが怯んだ隙に遅れて一人の少年が割って入る。 「ジョー…行ける?」 「当然だ。」  少年は、自らの光のないパートナーを気遣うように声を掛けた。  少女が立ち止まって、振り返る。  そこには、一人の少年が自らのポケモンを携えて、スピアーと対峙する姿があった。  それを目にした瞬間、グラリと視界が揺れるような錯覚を覚えたが、構わず叫ぶ。 「危ない!逃げて!」  その言葉はまるで届いた風もなく、少年は指令を出した。 「クラリス!袋だたき!」  刹那、電光石火よろしくニドラン♀は大地を駆けた。  一瞬にして、最後尾にいた、一際大きいスピアーとの距離を詰めた。  それと同時に、他のスピアーが蹌踉めいた姿が少女の目に映った。  さらに次の瞬間、とても信じられないような光景が目の前に広がった。 「そいつが親玉だ。行くぞクラリス。」  遅れてニドラン♂が駆け出す。それに追随する形で、スピアーが方向を変えだした。  一直線に、リーダー格のスピアーへと迫り、その場にいた全てのポケモンが、嵐のように襲いかかった。  猛攻でフラフラになり、そのスピアーは地面へと加速する。  あわや、地面と衝突と思われたその刹那、スピアーから閃光が走り、その姿は掻き消すように消え去った。 「捕獲完了。と、言っても後で逃がすんだけどね。」  ケイは独り言のように呟き、スピアーのいた位置に落ちていたボールを拾い上げた。  一方、統制を失ったスピアーがフラフラと辺りを飛び回っていたが、突然ニドラン♂が咆吼すると散り散りになって逃げ去った。 「おつかれ〜。」  言いながらクラリスが先ほどとは打って変わって、トコトコとのんびりケイに歩み寄っていく。そして、さも当然のように再びリュックサックに収まった。  ジョーも無言のまま、それに続く。  緩く表情を崩しながら、ケイは少女を振り返った。 「大丈夫だった?」 「えと、はい、大丈夫でした。…あれ、アナタはさっきの。」  町中で衝突したことは、少女の記憶にも新しい。 「さっきはどうも。実はね、僕もあの時一緒に持ち物を落としてたみたいなんだ。その時にキミの持ち物と混ざっちゃったみたいで…。はい。」  そう言って、一枚の地図を差し出す。 「本当ですか?それでわざわざこんな危ないところまで…。本当にどうもありがとうございます。」  言いながら、少女が折り畳まれた紙の束を取り出す。  それを受け取って、ケイは自分の紙を捜そうとパラパラと上半分をめくっていく。  七枚目に何も書いていない紙が見つかった。それをサッと抜き出すと、特にそれ以上は確認せずにそのままポケットにしまい込む。そして、紙束を返した。 「それじゃあ、さようなら。」  そう言って、ケイはその場を立ち去っていった。後ろから手を振る少女に手を振り返しながら。  それは、単なる不注意だった。ただ、返って状況は悪くなっていく。 「…あれ?こんな地図…見たことないわ…」  少女がそれに気付いた時、ケイの姿は既になかった。 「あ〜、もう、何考えてるのよ!?」 「ごめん…。」  クラリスの絶叫が響く。鳥がバサバサと辺りから羽ばたいていく。  ケイの手元には、スピアー追跡録と書かれた用紙が裏返しになったまま、掴まれていた。  短い要旨のまとめられたメモだったのだが、最後の行には少女の決意が綴られていた。 『絶対に、リボンは取り返す!!』 「ハァ…」  滅多につかない溜息を、ここに来てケイは吐いた。  正直、格好良く立ち去ったつもりであっただけに、あまりに情けないと言えた。  結局、先ほどまで手元にあったのが、自分の持ち物だったのではないだろうか。思わずそんなことを考えてしまう。  しかし、何にせよ気が付いた以上、返しに行かないわけにはいかない。  ケイが振り返った時、 「…何か…大きな者の足音が聞こえる。」  ジョーが呟いた。  とにかく少女は、渡された地図の通りに進んでみることにした。  目的の場所は、その同じ森の中にあり、程ない距離で辿り着いた。  そこは切り立った崖のような場所の麓で大きな口を広げている、洞穴だった。  深さは判らないが、ともかく深く、そして通路は広い。  地図はこのまま進めとある。少女は意を決して、進むことにした。  少年にこの地図を返さなければならないと思ったから。この地図の示す場所に行けば、少年に会えるのではと思ったから。  そうして少女は暗闇への第一歩を踏み出した。 「うわ…おっき〜…。」  ケイは、のんきに呟いた。  のしのしと、等という生ぬるさではない。一歩進む事に大地が揺れている。そう思わせる貫禄を誇っていた。  全長にして四mはありそうなボスゴドラが大きな洞の中へと入っていくのをケイ達はやや背の高い常緑樹に上って眺めていた。  そのとき、クラリスが何かの異変に気付いた。 「あれ…?あのボスゴドラ…リボンしてる。」 「リボン?」 「うん。ネェ、もしかして…。」 「違うと思うよ、いくらなんでも…。」 「この時期にスピアーが活動しているなんて、そうある事じゃない。しかし、先ほど会った少年はスピアーの異常な活動量について言及していた。」  唐突にクラリスとケイの会話に割って入るように、ジョーが顔を出した。 「従って、例えばスピアーの巣をあのボスゴドラが破壊なりしてその際に、スピアーが持っていたと思われるリボンがボスゴドラに渡ったという可能性は十分にあり得る。スピアーとリボンの関係に不安は残るが。」 「おぉ…」  感心したようにケイがパラパラと拍手する。 「ジョーも言ってるんだし。ここでリボンを取り返して、リボン付きでコレを返せてあげるなんて、格好いいじゃない!」 「う〜ん、確かにそれはそうだけど…。」 「はい決まり!いつまでもバカなことやってないで、早く追うわよ!」 「は〜い。」  スルリと木の上から滑り降り、ケイは洞へと向かって駆けだした。  思っていたより、その洞はずっと大きかった。  目の前に立ってみるとよく判った。 「どう?ジョー。」 「深いな。…大方の地形と、ボスゴドラの位置も把握した。」 「わかった。ナビゲートよろしく。」  言いながら、ケイも洞へと飛び込んだ。  洞は、いくらか進むとすぐに光の多くを失った。ひっそりと、静寂の落ちた空間に、吐息と足音だけが広がっていた。  慎重に、しかし出来る限り早く暗闇を進む。  ジョーの諜報能力の御陰で壁伝いながらも、特に難もなく進むことが出来ていた。 「…ケイ。ボスゴドラの移動が止まった。」  ポツリと呟くようにジョーが言った。  「状況は?」 「どうやら一際広い場所に出たようだ…。音が返ってこないところから見るに恐らく外と直接繋がっている。」 「あんまり戦いたくないけど、戦うって事になったら、暗いところの方が有利なんだけどなぁ。」 「そうね。さっきみたいに超音波で混乱させられるとも限らないし。」 「だいたい、ああいうのは集団戦じゃないと、意味がないよ。クラリスの袋だたきと、ジョーの超音波が一番映える状況だったよ。」 「混乱させて、その戦力を利用してリーダーを倒す。まぁ、確かにそうかも…。」 「それにしても、ホントにジョーってすごいよね。そんなに音って聞き分けられる物なの?」 「目が見えない故だ。その分、耳が良くなければ、自分の身は守れない。」 「目が見えてる私達より、状況判断が速いって言うのも複雑ね。」  そんな会話を交わす。しかし、そう時間の経たないうちに再び静寂が広がった。  各が、自ら噛みしめる緊張を味わうような時間が続いた。  やがて、ジョーの言ったとおり一際広い空間に出た。  そこは天井が大きく避けており、十分に採光も出来ている。  そして。  そこにいたボスゴドラの視線は、対象を射殺す勢いで見開かれていた。野生の獣が持つ、独特の覇気に押さえ付けられそうになるのが、わかった。 「やっぱり、縄張り違反の侵入者…みたいだね。」  苦笑いを浮かべながら、ケイが呟いた。 「行くよ、ジョー、クラリス!臨戦だ!」  そうケイが叫ぶと同時に、ボスゴドラは腕を振り上げ、ケイは後ろへと飛びすさり、ジョーとクラリスはリュックサックから飛び出した。  数瞬前にケイのいた空間が大木のような太い腕に穿たれる。  背中にヒヤリとした物が流れたのが、よくわかった。  ―迂闊に近づいても…決定打はまず無理かな?特性もわからないし。 「ジョー、クラリス…持久戦で行くよ。」  呟くように、ケイが言う。何も言葉は返さなかったが、耳を二度はためかせ、わかったと合図を返す。  ボスゴドラを取り囲むようにケイ達は陣を取る。  しばらく、キョロキョロとボスゴドラはケイ達を眺め回していた。 「あ〜、他のポケモンとも話が出来たらなぁ…。」  その間に、やや自嘲気味にケイが呟いた。  その刹那。  ボスゴドラは意を決すると、迷わずケイへと向かって巨体を前進させる。 「うわっと!」  敵は横薙ぎに腕を振るう。それを皮一枚の所でかわす。  シュッ…キン!  クラリスが一気に近づき角を振るう。燕返しと呼ばれるワザである。  空気を裂くように音が鳴る。しかし、勢いに乗せた攻撃はボスゴドラの堅い表皮にいとも簡単に弾かれた。  ボスゴドラが疎ましそうに振り向くのと同じタイミングでクラリスは身を退ける。 「ケイ!ダメね、堅すぎる!」 「超音波もダメのようだ。音が体の奥まで届かない。…それに、体力も有り余っているようだ。」  すぐにボスゴドラはケイの方へと向きなおし、腕を振り上げる。―幸いこの予備動作の御陰で寸での所とは言え、かわすことは出来ていた。  これ以上後ろに下がり、壁を背にする前にと相手の脇をくぐるように走り抜ける。それにあわせてジョーとクラリスが取り囲む円陣を崩さないよう移動する。 「わかった。とにかく、まずは相手にダメージを与える方法じゃないとね。」  ―別に何も倒す必要はないしね。  そう喉をついて出そうになった言葉を無理矢理飲み込む。  ―…そんな気楽な相手じゃないか。本気で掛からないと!  ケイも迷いを振り払うように、ボスゴドラに再び、そしてしっかりと対峙の姿勢に移った。すると、ボスゴドラは低い姿勢でケイを睨み付けている。 「突進が来る!横に飛べ!」  ジョーが叫ぶと同時にボスゴドラが足を踏み出した。――想像以上に速い。  何とか横へと飛び込んで、攻撃をやり過ごす。ズガン、と鈍い音と共にボスゴドラが岩壁へと突っ込んだ。  ガラガラと砕けて落ちてくる岩を物ともしないで、平然とボスゴドラは立ち上がる。岩へと突っ込んだ痛みも感じている様子はない。 「特性は、石頭…かな?」  呟きながら――しかし、それはジョーにもクラリスにも完全に届く声で――ケイは額に浮かぶ汗を拭った。  一撃でもまともに入れば、こちらの負けは確実だった。心臓が、早鐘を打つ。  幾度か突進と拳打による攻防劇を繰り返すうちに、ボスゴドラの動きは着実に鈍くなっていた。  しかし、それは同時にケイ達の体力の消費を意味する。  純粋な体力比べなら、相手に部がある。逃げながら、打開策を頭の中で練る。  何度目かの拳が振り下ろされた。それを何とかケイはかわす。そして、背後からクラリスが斬りつける。  その瞬間だった。いわば、全く同じタイミングで繰り返されていた攻防に終止符が打たれたのは。  クラリスのいる空間目掛け、ボスゴドラはその尾を振るった。  あまりに咄嗟のことだった。ケイが指令を出すより、クラリスが反応するより速かった。  ――もうダメか!?  ケイが目を背けたその刹那。  ズッ!  一際、大きく鈍い音が辺り響いた。  ケイが目を薄く開いたその先に――。 「「ジョー!」」  ケイとクラリスが、同時に叫んだ。  ボスゴドラのアイアンテールを、横腹に完全に決められ、それでも倒れないジョーの姿があった。  ジョーは何も答えず、構わずボスゴドラの懐に潜り込んだ。  キィィイン…。  突如、ジョーの角が高速回転を始める。そして、その角を構わず脇腹に突き出す。  ギャイィィイイン!!  ひどく甲高く不快な音が空間に木霊する。  ―いけないな。トレーナーがこんな事じゃ…。  その間に、すぐさまケイはジョーの後ろに移動する。―例えこの体格差でも、ポケモンバトルに持ち込むつもりで。  最初に異変に気付いたのは、クラリスだった。 「ちょっとケイ!このボスゴドラ、倒れない!」 「まさか、頑丈!?」  一撃必殺と呼ばれるジョーの角ドリル。どんな相手であろうと、この技で相手を地に伏してきた。  いわば、最終局面での切り札である。しかし、幾つか、この技を無効にする方法がある。  その一つが、このボスゴドラの特性、頑丈だった。  一瞬、たじろぎ、ジョーが後ずさった。  ボスゴドラが、ニヤリと勝ち誇って笑ったかのように見えた。  次の瞬間。 「だァァァあァァああ!!」  弾かれたようにケイはボールを構えた。  ボスゴドラが腕を振り上げる。  ケイがボールを振りかぶる。  ゴルフクラブをスイングするように、ボスゴドラは腕を振り下ろした。  それよりも、ほんの少しだけ早く、ケイはボールを投げ放つ。  ボールと鋼の腕とが、同時に迫る。  僅かに、ボールの方がジョーを回収する。かに思われた。  しかし、ボールは僅かに狙いをはずれ、ジョーの上を越していこうとする。  ほとんど、遅れなくボスゴドラの腕が、ジョーを捉える。これが当たれば、先ほどのようには行かない。ただでは済まない。 「もう少し、上手く狙って欲しい物だ。」  ジョーが呟く。そして、自分の上を通過するボールを寸分の違いなく、角で突いた。  瞬間、ジョーは閃光に包み込まれ、その姿は消え失せた。  勢いを乗せた攻撃は、予想外に空振り、ボスゴドラの体が慣性に傾く。  瞬間、ジョーの入ったボールがボスゴドラの脇腹に炸裂した。図らずも、そこはジョーの攻撃の加えた場所だった。  ボスゴドラが、僅かに呻いたのをケイは見逃さなかった。 「クラリス!つのドリル!」  その指令に、迷わずボスゴドラの脇腹に飛び込む。そして、ジョーの角ドリルを頭の中に思い起こし、自ら再現する。―クラリスの物真似だ。  それと同時に、炸裂したボールから光が弾け、再びジョーが飛び出す。 「ジョー!手助け!」  指令を即座に聞き、背後からクラリスを後押しする体勢に入る。  ギュ…ゥゥァァァアアア!!  膨大な回転数を誇る角が、寸分違わずジョーの与えた傷へと打ち込まれた。  ビシリッ!  微かに、音が響いた。ほんの、ほんの僅かだが。 「クラリス、離れてろ。」  クラリスを押し出す体勢だったジョーが、突如クラリスを押しのけボスゴドラに密接した。  角ドリルの多段攻撃においても耐え抜いたボスゴドラは、最後の一撃と踏ん張り、腕を振り上げた。  しかし。  ボスゴドラは、その体勢のままグラリと、振り上げた腕に引かれるように倒れていった。 「ふ〜…。」  張りつめた緊張が解けると、ケイは一気に空気を吐きだした。 「大丈夫?ジョー。ボールに戻る?」  しかし、慌ててジョーの受けた攻撃を思い出し、自らのポケモンに寄った。 「あんなものに戻るくらいなら、痛みに耐えた方がマシだな…。」 「そっか、ごめん…。」 「あ〜もう、何暗くなってるの?ほら、さっさとリボンを取り返しましょ。今はまだ目を回してるから良いけどいつ起きるかわからないんだし。」  クラリスの言葉に、あぁ、と思いだし、ボスゴドラに駆け寄った。  ボスゴドラの出っ張った表皮の一つに、引っかかるようにリボンは付いていた。  それを取り外し、今度こそを息を付こうとしたところで、 「さぁ、ドンドン進みましょう!」 等とクラリスが言い出した。 「え、えぇ!?なんで?」  ケイは思わず問い返した。と、そこで思い出したようにリュックからスプレー状の薬を取り出すと、ジョーに吹きかける。  ジョーの方もそれでいくらか体も楽になったらしく、いつもの様にそのままリュックの中へと戻っていった。  それを待って、クラリスが答える。 「だって、まだ道が続いているんですもの。気にならない?」 「え…それは…。」  同意を求められ、ケイは返事に窮する。しかし何故かクラリスは、それを肯定だと思いこみ、首肯する。 「ほら、急いで!いつ起きるのかわからないんだよ?」  その言葉に、ケイはボスゴドラを振り返る。 「…戻った方が良いような気もするけど。」  呟きながら、リュックの脇に付いたポケットに手を伸ばす。幾つかの大きな木の実を探し当てると、そっとボスゴドラの前に置いておいた。  振り返ると、既にクラリスの姿はなかった。どうやら先に進んでいったらしい。もう一度ボスゴドラを振り返り、ケイはクラリスを追いかけた。  さらにケイ達が奥に進み、ついには行き止まりと対面した。  しかし、どういう訳か、その通路には続きがあった。  今まで完全に天然の洞穴と思っていたこの場所に、下へと降りる階段が続いていた。  暗闇の中、それを見つけたのはやはりジョーだった。  相談した結果、ケイ達はその階段を下りることにした。  曲がりくねってはいる物の、一本道で、やはり人工的に掘られたと思われる節のある通路だった。  そして、その通路も突き当たり上へと上る階段を上がった。  そこには一つの扉があった。 「…どうする?やっぱり進む?」 「当然よ。」 「誰か、中にいる。」 「「え?」」  ジョーの言葉に、言葉がハモる。 「特に、待ち伏せている感はないから、大丈夫だとは思う。」  その言葉に、結局意を決して、ケイは扉を開けることにした。  ドアノブを捻り、ゆっくりと扉を押した。  すると。 「あれ?何で?」「あれ…?アナタは。」  扉の先の、その向こうにいたのは、リボンの少女だった。  さらに、その奥には、雑貨屋のあの優しそうなおばあさんがいた。 「…どゆこと?」  もはや、尋ねずには、いられなかった。 「つまり、まとめると事の発端は全部ケイのせいだったんじゃないの!?」 「…もの凄くイヤなまとめ方。だいたい、半分はクラリスのせいじゃないの?」  不思議そうに、自らのポケモンと会話するトレーナーを見つめる目があった。 「ホントにポケモンの言葉がわかるの?」 「え〜と、まぁ、一応。ジョーとクラリスの言葉だけだけど…。」 「へ〜、すごいなぁ…。」  その少女の頭には、少し埃で汚れた大きなリボンが飾られていた。先ほどまでは、なかった物だ。 「でも、最終的にはみんなうまく言ったんだから、結果オーライだよ。」  のんきにケイが言う。  そんな会話の一方だけを聞き、少女はクスクスと笑った。  結局、事の始まりはおばあさんの渡した封筒であった。あそこに描かれた地図は感光剤を使って描かれており、光を当ててばらく時間が経たないとわからないようになっていた。後から突然浮き上がってくる地図の謎はこれだった。  そして、次に少女との遭遇。その時、その地図と少女の持っていた紙の束が混ざり合った。しかし、偶然に偶然が重なったように、ケイは自らの地図を拾っていた。しかし、この時ケイは地図であることなど知るよしもなく、間違えたのだと思いこむ。  そして少女と再び出会い、地図を交換する。そこで、ジョーの語った経緯が正しかったことは、後に見つかるスピアーの巣の痕の発見によって立証されることになる。最も、そのことをケイ達は知らないのだが。  一方、おばあさんの渡した紙は、トレーナー向けの一種の探検ごっこに興じるための招待状だった。  それに従ってやってきた少女は、ケイが解くはずだった謎を全て解いて先に辿り着いた。その後を、ケイ達がついてきたと言うことになる。ボスゴドラと対面後の道中、何事もなかったのは、そのためであった。  そして最後に、ボスゴドラの倒れた謎。それはジョーが超音波の使い手だったと言うことだ。疲労した体では、極度に揺れる音波の衝撃に耐えきらなかった、と言うことだ。ジョーに三半規管をしこたま揺さぶられたボスゴドラはあの場で倒れざるを得なかった。  そう言ったことの経緯を知ったケイと少女は今、おばあさんの煎れたお茶を啜っているところだった。 「ねぇ、ケイ!」  クラリスが降ろしてあるリュックから飛び出し、ケイの肩に乗る。そして、声を潜めて囁いた。 「ホントはさ、この娘に気があるんでしょ?」  思わず、吹いた。  啜っていたお茶にしばらく噎せ、そして、無視することにする。 「告白しちゃいなよ。今なら大丈夫だって。」  ズーッとわざとらしく音を立てながらお茶を啜る。 「クラリスちゃん、何て言ったの?」  無邪気に問われ、ケイはそれを全力で否定する。そんな様子に今度は少女の顔が曇り、ケイは今度はそちらの弁護に走る。  そんな様子に心なしか、肩の上に乗っているニドラン♀の顔がにやついているように見える。  そこへ、席を離れていたおばあさんが現れた。  ケイは心底ほっとしたようで息を付く。一方のクラリスは、何だ、とでも言いたげに顔を顰める。  顔を顰める、と言う高度なことをするポケモンを、ケイは他に見たことがない。それだけに、インパクトが残る。 「それにしても、このリボン、本当にありがとうございます。」  言いながら、少女がケイの隣に寄ってきた。そして、手を握る。 「い、イヤ、ゼンゼンキニシナイデ…。」  開いた方の手で頭を掻きながら、普段あまり動じることないケイぎこちなくが答えた。  そんな様子にクスリと笑うと、クラリスはリュックサックの中へと戻っていった。